西岳、権現岳
  1981(昭和56)年8月24、25日

晩夏の2日間、家人と二人で編笠山、西岳、権現岳と歩いた。泊まったのは編笠山を越したところにある青年小屋で、その日、初めは数人の泊り客しかいなかったが、夕食の支度が終わった頃に、編笠山のほうから、もう数人がおりてきた。すると、小屋番のお兄さんは初めに盛り付けた数人分のおかずを、さらにプラス数人分に分けなおしたから、なんとも貧弱なおかずになってしまった。コウナゴの佃煮が2、3匹、尾頭付然ともっともらしく皿に乗っているのには、思わずふきだした。青年小屋というと、いつも、このことが思い出されてくる。



上 西岳頂上の展望。私は、この静かな山頂が気に入っている。この時と合わせて3度登っているが、他の登山者に出会ったことがない。赤岳や阿弥陀岳の眺めは抜群、昔の信仰を物語る石碑などもあって、去りがたいところだ。

中 青年小屋、いまやフトン干しの真っ最中。なお、この約20年後の02年6月、寺田政晴君と、やはり同じ雲海経由の道で編笠山を越して青年小屋の前にテントを張り、西岳に往復したことがあった。小屋に幕営料を払いにいくと、テントの下に敷くベニヤ板を貸してくれた。あたりには、まだ雪の残る季節だったので大助かりだった。

下 2日目は権現岳に登ったあと甲斐小泉にくだったが、いまならば大泉への道をおりて天女山から電話をし「長沢さん、車で迎えにきてよ」というだろう。小泉道にしろ大泉道にしろ、「あぁ、くだった」と一息つくところからでも駅までは長くてうんざりする道だ。

(2012.12) 

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