3.「木暮理太郎翁生誕之地」碑
          と足利行道山
     1988(昭和63)年1月31日

島田巽さんの著書『山稜の読書家』(茗溪堂/1985)には「二つの木暮碑」と題した章があり、その中で島田さんは「日本の山登りの父」ともいわれる木暮理太郎への敬愛の情を披瀝しながら、その遺徳を慕って建てられた2つの碑について詳しく書いている。

その1つの奥秩父金峰山の西麓金山にある木暮碑については、ロッジ山旅ゆかりの方々であれば、すでによくご存知のことと思う。定例山行で近くの山に登った折、山旅主人とともに立寄ってきたという方もあるに違いない。古くからの山の宿有井館の裏をわずか登った小平地、爽やかな白樺林に囲まれたなかに建てられている。私も本欄「有井館と木暮理太郎碑」で少し触れているので、それを参照していただければ幸いである。

と、以上の金山の碑に加えて、あとの1つは、群馬県太田市(木暮さん誕生時は新田郡神戸村寺井)の木暮さんの生家近くにある記念碑である。私は、これまで2度詣でているが、最初に訪れたこの時は、帰りに足利の行道山に「ついで登山」、藤島敏男さんいうところの「帰りがけの駄賃登山」をしてきた。

その日は、まず浅草から東武線の特急で太田、駅前タクシーで木暮碑往復、太田から電車で足利、再び駅前タクシーで行道山の浄因寺側登山口。以後は行道山‐剣ヶ峰‐両崖山‐織姫神社‐足利の順に歩いた。こう書くと、ずいぶん慌しいように思われるかもしれないが、浅草を朝7時50分発の特急に乗り、帰りは足利から特急を使ったにしろ午後4時半には浅草に着いているのだから、日の短い季節でも、それほど気ぜわしいというものではなかった。行道山は442㍍、3等三角点のある眺めのよい山だった。



上 行道山の頂上から榛名山を眺める。その左上には浅間山が雪雲の間から少し姿を現している。ほかには男体山、袈裟丸山、赤城山なども見えていた。

中 1978年秋、地元の強戸山岳会によって建てられた。碑の表には「木暮理太郎翁生誕之地」のほかに「山登りは先人の肩にのって先へ上へ進むものだ」の西堀栄三郎の一文が刻まれ、裏には木暮さんの「秩父の奥山」(『山の憶ひ出』上巻収録)の一節を引用した碑文も添えられている。ただし、この引用は原文そのままではなく幾らかの違いがあるのは、どうしたわけなのだろうか。

下 行道山へは浄因寺の山門をくぐっていく。  

(2014.5)

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