有井館と木暮理太郎碑
    1961(昭和36)年5月9、10日

信州峠越えと瑞檣山登山とを繋ぎ合わせての、この山旅は、ご存知金山の有井館に泊まり、爽やかな五月晴れに恵まれての2日間だった。ただし、初日、信州峠を越えた辺りから夜行列車の睡眠不足に加えて、「ヒダルガキ」が取り付いたかのような腹ペコ状態になり、二人とも気息奄々。天使園、金山峠、有井館までの道がすこぶる長かった。

ところで、この山行前後の何本かのフィルムは保存が悪かったため、みなカビが一面に生えて目もあてられない状態になった。スキャナーで反転し、かつパソコンに取り込んではみたものの、とても他人様にお見せできるような代物ではない。ところがところが、このHPのご主人に魔法を使ってもらえば、ご覧の通りのまず真っ当な写真になって、私は大びっくり。こんなものは、もう駄目だとあきらめて捨ててしまったフィルムに悔いが残る。(長沢註



上 2日目、瑞檣山を往復してきたあと、木暮理太郎碑に詣でた。今では碑を囲む白樺が大きくなって周囲の眺めは望むべくもないが、当時はこのように山々がよく見えていた。この写真では瑞檣山しか写っていないが、その右には金峰山も見えていたはずである。

なお、写真に写っているのは碑の裏側になる(表の木暮胸像については本欄「五里山」参照のこと)。今日、この裏面には「木暮理太郎略歴」と「いわれ」を刻した2枚の銅板がはめ込まれている。(現在の碑の裏面) (碑文には間違いが多い。下記の「木暮理太郎碑建立五十周年によせて」を参照のこと)。

中 当時は、このような文章を記した立て看板?が碑の傍らに建てられていた。これを記したのは松方三郎さん(1899~1973。日本山岳会第5回、第10回の会長を務める)だが、簡にして要を得、かつ格調高い文章であり、さすが松方さんだと感心してしまう。なお、木暮碑の詳しくは、拙著『山麓亭百話』中巻の「木暮理太郎碑建立五十周年によせて」をお読みいただければ幸いである。

下 有井館まで、あとほんの10歩ばかり。私が最初に有井館に泊ったのは1952年7月のことだが、それから10年近くたったこの頃でも、茅葺き屋根などは以前のままだった。唯一、灯りだけはランプから電灯に変わっていた。 

(2014.3)

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