大霧山
    1977(昭和52)年4月24日

望月達夫さんとご一緒した最初の山は、1974年3月の軽井沢1泊での離山と鼻曲山になる。その1ヶ月前、西上州の父不見の山頂で顔をあわせ、その夜も万場の今井屋旅館で同宿となったが、パーティも別、行動も別だったので一緒に歩いたことにはならず、やはり同行第1回は離山と鼻曲山のときとしておくのが妥当だと思う。

そして最後の山は1992年3月の残雪期、上越線沿線の向山となって、その18年の間に約130回の山行をともにした。同行の回数は75年が14回で一番多く、それに次ぐのが76年、77年の13回。

70年代後半の写真を見ていくと「あぁ、ここにも望月さんが写っている」であり、この大霧山も「そうだ、こんな奥武蔵の山にも一緒にいっていたのだ」の3枚。



上 栗和田の集落。季節柄、鯉幟があがっている。八高線小川町駅からタクシーで栗和田まで乗り、粥新田峠を経て大霧山に登った。もう一度、このような陽春の日に、この辺の里山を望月さんと歩けたらいいなと思う。

中 望月さんは、確かリコーの35_カメラをお使いで、名刺判に伸ばした写真をアルバムにきれいに貼り、1枚1枚に丹念に説明を書き込んでいた。そうしたアルバムが70数冊、今はロッジ山旅にあるので、どうぞ、ご覧ください。おそらく、この時の写真も貼ってあるに違いない。

下 こういってはなんだが、望月さんはちょっとガニマタ気味。しかも、ちょこちょこと速かった。せっかちもいいところ、山の帰り、新幹線が多摩川の鉄橋を渡れば「君、さぁ、おりよう」と立ちあがってドアのほうへ。「望月さん、いくらなんでも、まだ、早いですよ」

(2013.2)                       

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