将監峠・2
     1978(昭和53)年5月1日

笠取小屋の田辺正道さんが亡くなったのは1977年1月、その年の5月に秋山平三君が車をだしてくれてお墓参りにいったことは本欄の「藤尾山」に載せた。これは、その翌年のやはり5月、再び秋山君の車に乗せてもらい正道さんのお墓参りかたがた将監峠へ登ったときの3枚。黒田正雄さんも同道だった。黒田さんは本欄にも何度か登場をお願いしているので、すでにご存知の方も多いだろう。私よりも2つ3つ歳下で、今も奥多摩山岳会で活躍しておいでだ。



上 将監峠への登り道。小屋までは、もう、そう遠くはない。秋山君(左)と黒田さん。秋山君は惜しいことに2008年の春に亡くなった。彼も本欄に何回か顔を出してもらっている。通称「ヘーコー」ないしは「ヒョーロク」の話題の多い多芸多才の好人物で、ごく親しい友人の1人だった。

中 将監小屋の前。こんな2匹の犬がいたなんて、この写真を見るまで、すっかり忘れていた。小屋の番人田辺金雄さんの飼い犬だったのだろうか。なお、この日、木々の芽吹きが実にきれいで、今も、そのえもいわれぬ浅緑色が目に浮かぶ。

下 正道さんのお墓は二ノ瀬に近いお寺にある。私はお葬式にもいったが、1月のとても寒い日で、土葬の穴を掘る集落の世話人が凍った土に苦労していた。なお、墓碑には鷹の羽を交差させた「違い鷹の羽」の紋章が彫られていて、田辺一族が遠く紀州から移り住んできたことを物語っている。これまでにも記したが、マサミッチャンは、「俺は南北朝時代、後醍醐天皇を奉じて北朝方の軍勢と戦った南朝忠臣の末裔だ」と鼻高々だった。しかし、正道さんの没後何年かしての山の帰り、たまたま、お墓の近くにいた集落のおばあさんにそれを話すと、「マサミチは、そんなことをいっていたのかい?」と首をかしげ、加えて「マサミチは口が大きかったからねぇ」とも。

(2014.3)

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