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 横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠

カシガリ山

食後、この山行に加わるはずだったにもかかわらず、急な仕事でこられなくなった友人に寄せ書きをすることになった。だが、黒田君が用意よろしく取り出した葉書に、四人が四人とも含み笑いをしながら書き連ねたのは、これはどうかと思われる文面ばかりだった。本来なら不運を慰めてしかるべきなのに、「‐さんがいらっしゃらないと、なぜか山は無風快晴です。無数の山が見えています」などとあっては、受け取ったほうは必ずや頭にくるに違いない。「みんな、嫌がらせの年齢になってきたなあ」と自分達でも判っているのだから始末が悪いし、差出しの住所である「大菩薩、白屋ヶ丸」にテンテンの傍点をふって画竜点睛をなす人さえいた。
 
       (1979年12月の山行   『幾つかの山』横山厚夫/朝日新聞社/1980 )

山の上からの嫌がらせは、昔は葉書、今は携帯電話へと進歩した。なにしろルンルン調子の言いたい放題を、しかもリアルタイムで聞かされるのだから、たまったものではない。 

この夏は猛暑にあえぐ8月26日の午後、なにもする気も起こらずに、ただ寝っ転がってブックオフの100円文庫本は悪女物のミステリィで時を過ごしていると、そのクライマックスに合わせたかのように電話がなった。 

「わたし、國見。いま櫛形山の上。霧がまいてとても涼しいの。さっき南アルプスも見えたし、カモシカが目の前をとんでいった。…… ちょっと待って。いま、泉さんに代わるから」 

なんたる痛撃。女史お二方はいい歳をして、やってくれるではないか。天界極楽境からの実況放送を聞いたとたん、こちら下界の暑さは一段と増し汗がふきだした。



8月30日は家人の誕生日で、毎年その前後にロッジに行くことにしている。長沢君一家もお祝いしてくれ、ことのほかの歓待に預かるのが慣例である。今年はいつにしようかと考えて、23日からの週は私には医者の予約が3日あり、家人も医者の予約やら生協があって駄目なので、その後の週が変わってからの30,31日にすることにした。ところが國見、泉のお二方は26,27,28日の3日間でロッジへ行くのだといい、國見さんにいたっては「お医者の予約なんて延ばせばいい、わたしたちといらっしゃいよ」とのお誘いだ。

この、なんとかの深情け的勧誘に一時は心もぐらついたが、結局は勘弁してもらって、やはりこちらは予定通りの30,31日に行くことにした。その挙句の、日にちのずれに悪乗りしたのが26日の電話である。

30日は11時少し過ぎ、小淵沢駅には長沢君がいつもと違う黒塗りのワゴン車で迎えに来ていた。

「今日はどこへ行くの」と問えば、カシガリ山だという。近頃はなにごとも長沢君に任せておけば間違いないと、いつも行き先はそちら様しだい。霧ヶ峰の一角のカシガリ山は彼も初めてだそうだが、水平移動の所要時間も短い楽な山だと聞いて「あぁ、それはいいねえ」。なにしろ本日は当人もびっくり旦那もびっくりの、家人は傘寿の誕生日で、山も、そんなにきついところは止めたほうが無難なお歳になっている。加えて、そろそろお昼近くの遅い時間なのだから、まぁ、3、4時間の軽い歩きがちょうどいいところだろう。

助手席に乗り込んで、道々、興味しんしんのこの異な車の由来を聞けば、先日の櫛形山からの電話がゆえの因果と知って、思わずにんまり顔になった。なるほど、そういうわけなのか。そこで、その辺のいきさつは私の文章ではなく、とくに長沢君にお願いする一文によって知っていただくことにしよう。そのほうが意を尽くしているに違いなく、「長沢さん、加えて翌27日の高峰山登山の分もお忘れなく」。(文末に掲載

さて、ここで肝心のカシガリ山の説明をしておく。霧ヶ峰の主峰というべき車山(1925m)の真南からやや東に振れて約2.5kmのところにあり、標高1616.4mの3等三角点のある山だ。そして、その間にはビーナスラインが走り、その1680mほどのところに車をとめて歩き出せば、途中いくらかの起伏があるにしろ、確かに長沢君のいうように水平移動で達することができる。

カボッチョ(1681m)をご存知ならば、その東南隣りの山と心得ていただければよい。なお、カシガリなる奇妙な山名は南麓の米沢辺からだと傾いて、つまりカシイデ見える山容によるとのことだ。



天気は上々、時間とともに一段と大気の透明度はあがり、山々もくっきりと見えてきた。それに、この高さまであがってしまえば、日差しはきついものの吹く風は爽やかで心地よい。長沢君、今日もいい山に連れてきてくれて、ありがとう。行く手には、私好みの草尾根が気持ちよさそうに伸びている。

眺めもいい。蓼科山は大きく、進むうちに八ヶ岳の諸峰も雲から出てきた。

遅い昼食の場所を木陰に選べば、すっと涼しい風が吹き抜けていく。ゆっくり腰を下ろしての食事がてら、先日の國見、泉女史のロッジ山行の3日間をうかがえば、コンビニのオカズパンもいっそう味が増すというものだ。それだけに、ここで國見さんなり泉さんなりに電話をすれば効果絶大だろうと誘惑に駆られたが、明日の荒天を恐れてぐっとこらえた。



後日、2万5千図「霧ヶ峰」「大塩」を見ると、私たちがたどった尾根(それほど顕著な尾根とはいえないが)には、一応破線が記してある。それどころか一時は車を通したのではないかと思われる轍の跡もあったが、今はそのほとんどが草にうもれて足探りの個所もあった。これが、また、さらによろしいと思う。「いいところだねぇ」を繰り返した。

約1時間半で下り気味に達した山頂は狭く、叢に囲まれて眺めはないが、ここまでの過程に十二分に満足して不満はなかった。

帰り道はやや登りになる。車山を正面にしながら往路にも劣らない眺めが得られた。蓼科山から北八ツ、南八ツへと連なる稜線が湧きたつ雲の下にずらりと峰を並べて、いうことなしではないか。



車に戻ったのが、かれこれ3時半。この少し先にソフトクリームが食べられる茶店があると聞いて、「それそれ」となった。先月の入笠山、今月初めの吾妻山でもソフトクリームが山行の嬉しい締めくくりとなっている。

お店のお兄さんに「今日は連合いの誕生日だから、少しおまけしてくれないか」と頼んでみたが、そうなったかどうか。ちなみに量は機械任せではなく、足踏みのペダルで加減できるのだそうだ。

その夜はロッジ山行常連の富田雄一郎、俵一雄、木村久男のお三方も席を連ねて、格別の歓待にあずかった。思えばロッジ開業から丸10年、家人も8本のローソクを吹き消すようになっている。「お二人はちっとも変わっていませんよ」とは長沢君のお愛想だが、この先もしばらくは、このように変わりなくロッジへきたいものだと願った。


翌31日は引き続いての好天にめぐまれ、昨夜の富田さんと俵さんも同行しての八子ヶ峰行となった。1983年10月以来6度目の山になるが、ここも私好みの草尾根がつづいて何度歩いても飽きないところだ。昨年の11月末に森山の会で歩いたばかりにしろ、今回は今回で初秋の爽やかな風に吹かれつつご機嫌でたどった。マツムシソウ、カワラナデシコ、ウメバチソウなどの花も多かった。



こうして八子ヶ峰もカシガリ山同様に満足して、小淵沢は3時13分始発の高尾行。荻窪に着いたのが7時近くの夕食時となり、駅ビルの洋食亭でビーフシチュウを食べて帰った。(2010.9)

泉さん、國見さんとの山行の顛末はこちら 長沢 記


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