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 藤島敏男の避衆登山
           
「避寒、避暑という言葉がある以上、避衆ということもいえるであろう。つまり人になるべく会わないような山へ登るということである」

藤島敏男著『山に忘れたパイプ』(茗溪堂)は昭和45年に出版された大冊である。大正初期から昭和も後半に至るまで50年以上にもわたって連綿と登山を続けてきた藤島氏の唯一の著書というのだから大冊になるのももっともで、その中には私などにはまるで無縁の古き良き時代の山旅が横溢している。それは端的に言えばエリートが真にエリートだった時代のおおらかな山旅といえるだろう。

冒頭にあげたのはこの本に収められた「避衆登山」の一節である。書かれたのは昭和34年だというから、日本隊のマナスル初登頂によって大登山ブームが起こっていた頃である。交通至便な名だたる山々が人であふれかえっていたことは聞き及んでいるが、他にレジャーも少なかったことを思えばその凄まじさは想像を絶するものであっただろう。このブームはその後も十数年にわたって続いたらしいことは藤島氏がその間「避衆」について繰り返し書いていることからもわかる。

私が登山を始めた昭和50年代初頭にはすでに猫も杓子も山へ行くといったブームは去っていた。そして若者の姿が徐々に山から減っていき、代わって中高年登山者が山を席捲していったのが昭和も終りごろから平成十年代にかけてだったように思う。

その間に私自身がすっかり中高年の仲間入りを果たしていたわけだが、中高年による登山熱が例えば深田百名山に集中していた時期がある。私はそのすべてを安直と決めつけるほど偏狭ではないが、それでも、こと山に限らずこういった一点集中型の指向を疎ましく感じる人間だから、ちょうどその頃に読んだ藤島氏の本に「避衆」という言葉を見出し、膝を叩いたのだった。読書の楽しみのひとつは自分と似た考えを他人の中に発見することである。

それはともかく「避衆」という言葉を藤島氏が使ってから(戦前からすでに藤島氏は似たようなことを書いてはいるが)半世紀以上がたった。人気の浮沈はあるにせよ、混む山は混み、静かな山は静かであることは変わらない。おそらく未来永劫変わらないだろう。藤島氏もそんなことは百も承知の上でむなしい嘆きを嘆いていたのだと思う。

かつて、知人に夏のお盆休暇に涸沢から穂高に登った話を聞かされた。その期間に休むしかない宮仕えを気の毒に思って「それじゃあ混んで大変だったでしょう」と言った私に返ってきたのは「にぎやかで楽しかった」という応えで、山好きならば等しく静寂を好むだろうと思っていた当時の私をいささかがっかりさせたものだった。しかしこれは私の浅はかな思い込みとでも言うべきで、混むのを厭わないか、その知人のようにむしろそれを好む人が多いからこそ有名な山にばかり人が集中するに違いないのである。

たしかに有名な山は容姿端麗で展望にすぐれ、他にも人々を惹きつける魅力に事欠かないからこそ有名になったのだろうが、有名になったあとはもっぱら有名なことそれ自体が人を呼び寄せることになる。つまり人が人を呼ぶのである。山に限らない、世間を見渡せばありとあらゆる場面にそれはある。今盛んな人や場所に人は集まり、行列は長いほどさらに長くなる。異口同音の海で泳げるなら混雑など物ともしないのはどうやら人間の持つ根源的な性癖によるらしい。登山者といえども例外ではないだけだ。

動物が群れるように人も群れる。都会に人が密集しているのは土地が狭かったり生活の便宜のためというよりは群れたくて群れているからで、その証拠に、いくらでも周りに土地のある地方に行っても家々は固まって建っている。

生きとし生けるものすべてはおのずから生まれ育つわけではないから群れるのはあたりまえかもしれない。しかしその群れを見よ。群れなす動物や鳥や魚の個々が見分けられないように、群れなす人間を俯瞰すれば、個人は消えてそこにはただ全体があるだけである。老若男女も個々の性格の違いもない。風が右から吹けば全体が左に動き、左から吹けば右へと揺らぐ。

フランスのガイドブックにお墨付きをもらったとたんに高尾山は人であふれかえる。山ガールなるものが涸沢に多くなったと報道されると、さらに大勢の似かよったいでたちと年頃の女性たちが集結する。山を走ることがさも新しいスポーツのように紹介されたら、トレイルランナーと称する輩がどこからともなく湧き出して有名な山で疾走する。私は現在のことだけをあげつらっているのではない。50年前の登山ブームも何ら変わりはしない。

これらの群れも個々は見分けられないし、見分ける必要もない。有無は言わせず一括して単なる流行だと断ずべきことである。いずれ流行が終わったとき、そこにまだ残っている者があれば、はじめて彼らの顔は区別がつくだろう。

「時代に翻弄された」とはテレビのドキュメンタリーあたりが好んで使う台詞だが時代に翻弄されない人間などひとりもいない。しかし翻弄され同じ方向に流されながらも抵抗を試みる者どもがある。無駄なあがきで結局行き着く先は同じかもしれない。ますます衆寡は敵しない。だが私は彼らの言葉こそ傾聴に値すると思っている。それは流行に恬淡としている人の言葉である。大げさに言うなら、民主主義の行く末に暗い影を感じている人、すなわち思想を「避衆」している人の言葉である。

私は、自分が正論だと思うことが他の多くにとってはそうでもないことを知って、とまどい無念に思うことがある。だが私は自分を励まし安堵させてくれる本を何冊も持っている。本棚にどんと置かれた『山に忘れたパイプ』の嫌でも目立つ菊判はそんな頼もしい本の一冊である。



藤島敏男(1896〜1976)

一高旅行部入部以来、生涯に渡って登山を続ける。日本山岳会名誉会員。なお、藤島さんについては、「島田さんのアルバム」に横山さんが書いておられる。

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