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          高川山 2007.1.18



茗溪堂の『静かなる山』は、ちょうど中高年の登山が盛んになり始めたころの時宜にかなったこともあったのだろう、増刷もしたし、後には続編も出た。中高年の中でもその手の渋い山を歩く者にとってはバイブル的な本だった。

私が手に入れたのは正編出版の昭和53年からは10数年後だったが、その紀行文に教えられて登った山も数多い。この本については執筆者のひとり、横山さんに私のサイトに書いもらっている(参照)。

本に載る山々の中には、今では「静かだった」と形容しなければならない山も多くなったが、その最右翼が高川山であろう。中央線の駅から歩けるので好天の土日など相当な人出だと聞く。それでも冬の平日ならそう混むこともなかろうと計画にいれた。

たまたま『静かなる山』の5人の著者のうちのふたり、横山さんと山田哲郎さんが参加することになって、この山を登るにはまたとないゲストとなった。実際、本の中で高川山を書いているのが山田さんなのである。

「山田さんのせいで、高川山が俗化したのです」と横山さん。「いいえ、この山を担当せよと言い渡したのは横山さんですから、元凶は横山さんです」と山田さんが応酬する。にぎやかに一行は道標完備の里道を登っていく。

予報は良かったのだが、周りの霧が晴れぬまま頂上に着く。棄てられて高川山に住み着いているという犬(ビッキーと呼ばれていた)に迎えられた。なるほど棄てられるだけのことはあるご面相だと思った。一目見て、『SF・ボディスナッチャー』という映画に出ていた人面犬を思い出した(参照)。

それにしてもこの頂上の泥んこのすさまじいこと。雨上がりだったので余計にひどい。人の多さを物語るというものである。何とか座る場所を見つけて昼食をとるうちには少し雲がとれて周囲の展望が開けた。富士も一部を見せた。

数人のパーティが登ってきたのと入れ替わりに下山とする。大月中央病院の裏手にまで東に長く延びる尾根を下ろうというのが木曜登山ならではのちょっとしたスパイスである。

実にすべりやすい地面に手を焼き、しかも思ったよりは長く、登りの倍の時間をかけて下ることになった。

あんなところを歩かされて、持病の膝痛がひどくなったと横山さんにはその後長い間愚痴られたものである(参照)。

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