| スタイル 甲斐駒ヶ岳黄蓮谷 |
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| 森林限界上に懸る奥ノ滝をソロで行く海藤嘉一。素晴らしい氷質でアックスの手応えに歓声が上がる。 ジェイムズ・フィックスの『奇跡のランニング』というランニング入門書のあとがきに「果てしない人間の歴史を逆戻りして原始まで走る。これを実行しているのがランナーだと思う…」とある。さらに「(ランナーたちは)現代人がもうほとんどやらなくなってしまったこと、つまり古代人あるいはそれ以前の原始とのつながりを確認し直す作業をしているだけのこと…」と続く。とかく走力追求、健康志向一辺倒のようにとらわれがちなランニングの世界でさえ、その奥は深い。まして、山をどう楽しもうと勝手にはちがいないが、少なくとも頂上を踏み万歳でおしまいなら、山登りの世界は薄っぺらでとうに忘れ去られているはずである。 未踏の巨峰に挑む時代が終わりを迎えようとしていた1970年代、ラインホルト・メスナーは、これからはスタイルの時代だと言った。予言の通りその後、アルパインスタイル、ポーターレス、酸素マスク無し等々の多様な挑戦スタイルのカテゴリーが編み出された。いかにして登るか、が単に頂上に立つことよりも大きな意味を持ち、意識化されるようになった。いずれのカテゴリーにも相通じるのはエコロジー的な発想。つまり小規模、軽量かつ省エネルギーで挑戦対象に挑むという方向性であり、登山資金を準備する上でも、それは現実的で自然な成り行きといえる。こうした最前線の動向は、手近な山を創意工夫して面白く登ろうという私のような市井の登山者への指針とも受け取れた。 山とランニング、二足の草鞋を履いてからは、冬が最も体力の充実している時季になった。身体というのは、ある程度本人の願望に合わせて作り直せるものだと分かったのは、ランニングのおかげといえる。年明けから始まるマラソンシーズンに備えて数カ月も長距離を走り込んで身体は完全に仕上がっている。甲斐駒ヶ岳黄蓮谷の登攀には、駒ヶ岳神社を出発し黒戸尾根の五合目から谷底へ下る厳しいアプローチが含まれ、コース標高差は2860メートル。これは吉田口の銅鳥居から富士山吉田頂上までの標高差2920メートルに匹敵する。過去にも冬の日帰りにチャレンジしたパーティーがあったとはいえ、かつての私なら尻込みするような試みだった。 私と同様、クライミングからシンプルな山登りに宗旨替えしたKを誘い、12月下旬、黄蓮谷に入った。振り出しの坊主ノ滝は氷結が不完全で巻かざるをえなかったが、滝上からは素晴らしいコンディションで氷がつながっていた。私たち以外に入山者はなかったようで、右俣に入ると踏み跡は完全に途切れてしまった。それでも申し合わせてロープを持たなかったから身軽なことこのうえない。氷のセクションでは互いに落氷に気を付けながら左右に分かれて登った。最上部の奥ノ滝を越えるとさすがにラッセルが深くなったが、先頭を交替しながら一気に登りつめて日が西に傾きかけたころ尾根上に出た。下山の途中で日は暮れたが、終日天候に恵まれて駒ヶ岳神社の駐車場から全行程13時間。それまでに冬の黄蓮谷は右俣と左俣合わせて3回登っていたが、この時ほど愉快で痛快な登攀はなかった。 ※ 手探り状態のままスタートした「山の場面」シリーズですが、結果的には70年代から80年代にかけての体験を中心に、功罪を取り交ぜて登山を花鳥風月ならぬアクティブな側面から振り返えることになりました。12カ月、最後まで退屈な話に付き合っていただいた皆様にお礼申し上げます。また、「11月」に紹介した長谷川良典は本年5月に逝去、日本の登山界は貴重な登山史の証言者のひとりを失った。それは私にとっても、もちろん一大事にはちがいなかったが、内外の登山家にも知られることがなかったようだ。昭和は遠くなりにけり、である。 |