選定を終えて         北杜五十山選定委員  長沢洋

佐々木正一翁との出会いは、数年前、私が翁の家の前で山の写真を撮っていたときだった。そこが大泉支所に近いといえば、北杜市にお住まいの方々ならすぐにわかると思うが、四囲の山山の景色は実にぜいたくなものである。

だから山の写真を撮っている人は珍しくない。ところが私は、八ヶ岳や南アルプスには目もくれず、それらに比べればまるで風采のあがらない津金の山の写真をせっせと撮っていた。地元の人間でさえ顧みないような山の写真を撮っている私が翁には珍しく、もしくは親しく思えたのだろう、声をかけてくださったのである。

親子以上に年の離れたふたりだから、それからもさほど親しくお付き合いしてきたわけではない。たまに通りかかったときなどにお茶をよばれながら古い山の話を伺った程度のことである。

だから翁から北杜市の五十山を選ぶから手伝ってくれと頼まれたときには少々驚いたし、以前からそういった選定をあまり趣味のいい企てだと思っていなかったので、すくなからず躊躇した。しかし、選定にあたっては、佐々木翁に全権があり、妙な政治的かけひきもなく、ただただ茶目っ気のようなものだと聞かされ、それならばと協力することにしたのである。

合併前の旧八町村から委員をひとりづつ選ぼうという心積もりが翁にはあったらしいが、それについては私が一蹴した。こんな選定に頭数はいりません。旧町村からひとりづつなんてとんでもない。身内身びいきになるだけです。独断に限るのです。佐々木さんがご自分で決めてください。その結果について私にもし意見があった場合は進言することにします。そこで、委員長以外に委員がひとりの、委員会というには少々はばかられる人数となった。

しかし、ひとくちに五十山といってもかなりの数である。めぼしい山を選んだだけでは足りず、一般には知られざる山まで選ぶことになった。選定し終わって、三十山にとどめたほうがよかったかとも思ってはいるが、まがりなりにも五十山が選ばれ、その気であればまだ山を挙げることができることを思えば、北杜市の山の潤沢さがうかがい知れるというものではある。

しかも、選ばれた山山は幾重にも重なった山地の奥にあるわけではない。翁の庭先はもちろんのこと、市内の各所からも、そのほとんどが指呼できるのである。ここに住んでいるとつい気づかないでいるが、これは北杜市の地勢がもたらす著しい特徴であることを付け加えておこう。

選定にあたって、翁と私との間に齟齬があった山は天女山、美し森、八幡山、金峰山の四座であった。前者ふたつは、これらを山と見るのだろうかという疑問を私は持ち、有名でなくとも山としての姿かたちを持った他の候補があると進言した。だが、ここでは翁のいう、有名と歴史をとった。

八幡山については、地形図に表記があり、金峰山を代表する派生尾根の名前にもなっていることから翁が当初選んだのであったが、どの突起をもってその山頂とするのかいささか曖昧であることを私が指摘し、八幡尾根にあるピークのひとつ、チョキを代案に挙げ、そのまま採用されることになった。

また金峰山に関しては、地図上の線引きで、金峰山の頂上は北杜市内にない。だから厳密には北杜市の山とはいえないではないかという意見が後々出ることを見越し、はずしてはどうかとの私の進言だった。しかし、翁の言うとおり、北杜市内のどこからでも眺められる金峰山の堂々たる姿を見れば、ただ頂上のみがわずかに市外になるからといって、これを北杜市の山としない理由はないと思い直した。確かに北杜五十山に金峰山の名がなければ、画龍点睛を著しく欠く。

以上、簡単ではあるが選定の経緯を説明した。個々の山については、いずれ解説を加えるつもりではあるが、北杜五十山が、いわゆる日本百名山に含まれる五座をはじめ、実にそうそうたる布陣であることは、他に誇っていいと思う。まさしく市民の宝である。