 |
 |
 |
饅頭峠南稜伐採地ふたたび(茅ヶ岳)
こちらは閑中閑ばかりといった状態で、天気が悪くて木曜を金曜に順延したって何の問題もない。すると、忙中閑ありの山の絵描きさんが久しぶりに都合がつくとはうれしい。ご近所のおふたりも都合がついて、総勢4人での山歩きとなった。
むろん絵の描ける山がいいだろうというので、ついこの間行ったばかりの饅頭峠南稜にまた繰り出すことにした。他の皆さんもここは初めてだからいいだろう。少々登り方を変えて、私自身の興味も満足させることにした。古い踏跡を追う、初めての登路はなかなか風情があった。
順延した甲斐のある好天になった。大風が吹くとの予報も、さほどのことはなく、風がない斜面を登るときには上着は不要だった。
展望は上々、スケッチタイムを兼ねた長い昼休み、絵描きさんは一心に絵筆をはしらせ、オジサン3人は誰気兼ねない放談で気炎を吐いたのだった。ながく同じ場所にいると、甲斐駒から湧いて出るような雲の変化がおもしろい。のんびりしました。
|
 |
 |
 |
稜線伝いに木喰上人の里へ(切石・精進)
去年の同じころ歩いた、稜線伝いに木喰上人の里へに行くコースが気に入って、モリノブタさんのリクエストもあったので、また出かけることにした。
好天に恵まれ、順調に行程をこなしたあと、下部の河津桜を見物、そして新しくできた立ち寄り湯にドボンと浸かった。
この山行には、おとみ山も参加予定だったが、雪かきで腰を痛めたとかで前日にやめておくと電話があった。
そしてこの日、おとみ山は突然あの世に行ってしまったのだった。
|
 |
 |
 |
おとみ山を偲ぶ旅(恵那)
1月27日 ロッジ山旅掲示板への私の投稿
木曜山行の一環で、おととしの5月、おとみ山と神戸N女史の米寿記念登山をした。そのとき、もう卒寿まで間もないと話題にしたのが早くもその年がやってきて、またお祝いができるのはうれしいことである。
そのときは山梨市の八幡山を歩いたが、九十なら「九重」もしくは「久住」か、といったん私は口走って、皆がその気になりかけたので、慌てて取り消したものである。とても九州までは出かけられないし、九重ならツアーにでも参加すればいつでも行ける。木曜山行ならではの、絶対にそんなことがなければ行かないところというのが望ましい。
そこで、なにか代案はないものかと考え、岐阜県本巣市根尾に「越卒(おっそ)」という地名があるのを発見した。「卒を越える」とはなんともおあつらえ向きの地名ではないですか。調べたら、その集落には「九社神社」なんてのもあって、偶然にしてもよくできている。名付けて「NEO-OSSO」計画。語呂もいい。
どうせ山国なことだもの、若い集まりならその集落の裏山にでも無理やり登るが、さすがにそれは危険だと、本巣市の中心地にある文殊の森を歩くことにする。文殊とはこれまた名前がいいじゃないですか。
宿は関市のビジネスホテルにとって、1日は刃物の町の見学とするか、天候のこともあるので、そのあたりは流動的です。
4月3、4日(水・木)で出かけます。計画前段階ですでに参加が決まっている人があるので、残り若干名です。
おとみ山の投稿
長生きをすると、色々ご迷惑をおかけするものですね。でも、それを遊びのネタに生かす山旅師匠の眼力・企画力は流石と唸ります。
NEO-OSSO のタイトルも秀逸。越卒・九社神社・文殊の森……と、良くも揃ったものですね。楽しみと期待は膨らみます。
卒寿予備軍の皆さん、日本刀やペティナイフを仕入れるチャンスがあるかも知れず、古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿から超大台への、長くて短い道のりのワンステップを、共に楽しみましょう。
--------------------------------------------------------
そして、木喰上人の里への山旅の日、おとみ山は急逝する。
--------------------------------------------------------
計画していた、4月のNEO-OSSOの旅を、これはキャンセルかなと最初は思ったのですが、卒寿の前祝という趣旨はなくなったものの、行くのは岐阜だし、おとみ山を偲ぶ旅とすればいいことだと考えなおしました。
去年の恵那の旅では、おとみ山が疎開していたとき遊んだという裏山を歩くつもりが、大雨で岩村城址へと転進しました。そこで、その計画を復活させることにしました。
裏山の南側は今では東濃牧場となっていて、その牧場から、おとみ山が遊びまわった、馬禿という、恵那市街が見渡せる(見渡せた?)ところまで歩いてみようと考えています。山歩きというよりは牧場歩きとなるでしょう。牧場からは恵那山や御嶽山の眺めがいいらしいです。ホテルは関にとってありますから、それはそのまま、あとの計画はこれから練るつもりです。
--------------------------------------------------------
さて、その当日がやってきた。ところが前日、NEO-OSSO計画の、もう一人の主役だった神戸のNさんに支障が出て来られなくなってしまった。しかも天気予報は2日間とも雨。しかしもう出かけるしかない。
出しなには降っていなかったが、西に向かえば雨の中に突っ込んでいくことになる。名古屋組との待ち合わせ、恵那駅に着くころにはかなりの雨脚となっていた。
しかし、名古屋組から聞いたのは、翌日にはすっかり雨が上がるとの新しい天気予報で、うれしいことに低気圧が予想より早く行き過ぎるらしい。
ならばと、おとみ山疎開先の裏山歩きは翌日にまわし、初日は、宿をとった関市の観光に振り替えることにした。
そもそも、根尾越卒に行くために、地理的な位置と、安い宿があるというだけの理由で選んだ関市だったのだが、N女史が来られなくなって、根尾越卒行きがなくなったのでは、関市を観光するしかない。しかし、これが因縁めいていた。
裏のご隠居Iさんの学生時代の後輩が『大野ナイフ株式会社』という、関市にある有名な高級刃物会社の社長で、連絡を取ったら社内を見学させてくれるというのである。
そして、おとみ山が亡くなった日、私たちが訪れていたのは木喰上人の里だった。この木喰上人とよく並び称されるのが円空上人で、それは、作風や時期は違うとはいえ、同じく江戸時代に諸国をまわって木彫仏を多数残したという理由による。その円空上人が晩年を過ごし、入定したのが関だったのである。その縁で市内に円空の記念館がふたつある。そんなこともまったく知らずにいたのだった。
円空が中興の祖となった弥勒寺の境内跡の一角に関市円空館がある。午前中はそこを見学し、そして午後に訪れた『大野ナイフ』では、社長みずから広い工場の隅々まで案内してくださるなど、恐縮するばかりの歓待を受けた。
『大野ナイフ』を辞したあとは、市内の刃物がらみの施設を見学した。『せきてらす』という、市内中の刃物メーカーの製品を集めた施設があって、私は記念に包丁を一丁買おうと思っていたのだが、おりしもドイツ人の団体で混み合っていたし、とにかく包丁が多すぎて、どれを選んだものか迷うばかりで買うのをあきらめた。夜はホテル内のレストランで、おとみ山を偲ぶ会食をし、関の夜は更けていった。
明けて、すっかり雨が上がっていた。予定どおり、東濃牧場から、おとみ山の疎開先の裏山(おとみ山はソンデ山といっていた)へ向かう。雨上がりの晴天とまではいかなかったが、春の風が心地よい。
地形図に「馬禿」という地名があって、おとみ山はそのあたりまで登って遊んでいたと聞いた。そこからは、去年登った笠置山が眺められたし、下にはおとみ山が疎開していた集落が見えた。たまたま車で登ってきた土地の人の話では、馬禿という斜面には、かつて木がなくて、下から駒形の砂礫地が見えたのでそう呼ばれたのだという。子供たちがその斜面を滑って遊んだとか。
すぐそばに「鍋山メンヒル」という立石がある。麓から、そこ経て馬禿に通じる道があったのだろう。きっと、おとみ山も目にしていたのではなかろうかと、岩の上に、去年の恵那での写真を置いた。
|
 |
 |
 |
甲府の北山で新緑をめでる(甲府北部)
4月には甲府の北山を歩くのが長年の慣習になっている。高冷地に住む身にとっては、いち早く新緑の山を楽しみたいという願望があるからで、麓から広葉樹に覆われた甲府の北山はどこへ行ってもその期待に裏切られることはない。
今年はどう歩こうかと考え、緑ヶ丘スポーツ公園を基点に、湯村山、八王子山と、いつもは時計回りに歩くのを逆にたどってみることにした。逆コースは初めてである。
毎度見慣れた山の色は今年も同じくすばらしかった。山径に入り、登りが続くようになって体調が悪くなったので計画を変更することにした。緑ヶ丘にいったん戻って車で千代田湖へ上がる。
八王子山直下の、甲府盆地を見おろす岩場で昼休みとしたのち、今回のもうひとつの目的だった白花のイワカガミを見に行った。わずかに盛りを過ぎているようにも思ったが、まだまだ見ごろといっていいだろう。これだけの群落なのに見に来ている人はひとりもいなかった。
|