山彦谷北の耳~ダケカンバの丘(霧ヶ峰

驚くほど早い梅雨明けに、木曜山行も早々と避暑山行にシフトである。名古屋のNさんの帰りがけの山になるよう、夏の定番、中信高原でコースを探し、大笹峰からダケカンバの丘へと歩くことにした。車が2台あると行動範囲が広がるが、あまりに車の回収が大変でもよろしくない。このコースなら登下山口は10分程度で行き来できる。

Nさんのアジア旅行仲間Sさんが三重県から初参加、それに東京のHさんが加わった。Sさんは大学教授時代には中国で教鞭をとったことがあるというし、Hさんは外国人用の日本語教科書の出版社にお勤めだった人で、アジア各国への出張数知れず、中国語に精通している。かようなアジア通の皆さんの話は聞いているだけでも面白かった。

伐採直後には茶色い地肌が殺伐としていた大笹峰への道も、すっかり緑に覆われて、自然の力には驚かされる。夏らしい大汗をかいて、本日の最高点北の耳に立てば、私なんぞには見慣れた光景ながら、Sさんは霧ヶ峰が初めてだというのだから、新鮮に映ったことであろう。やはり高原には夏が似合う。

ダケカンバの丘への稜線に入ったら、昼寝を邪魔された鹿たちが次々に飛びはねて尾根を渡った。トリカブトがおびただしいほどあって、9月にでも行けば花が見事なことだろう。

ダケカンバの丘は勝手に私が命名したのだが、誰が名付けてもそうなるだろう。そのダケカンバはいよいよ風格を増し、樹下の日陰も大きくなって、大勢がゆったり休めそうである。そこを4人で貸切って1時間も涼んだ。

私がここに行きたくなるのは、丘からひとしきり落葉松林を下ったあと。美しい森をさまようがごとく歩くのが楽しいからでもある。その楽しみを楽しんで、ポッと森から出たところに車が待っていた。

霧ヶ峰外周コース(霧ヶ峰)

遠路大阪からのご婦人方との山行が木曜日に重なったので、この週の木曜山行はちょっと番外編となった。

ご希望で向かったのは霧ヶ峰。まさか車山や八島湿原では私が一緒に行く意味がない。とはいえ、あまりにマニアックなところでもまずい。こんな場合は外周コースの一択である。広大な景色を楽しみつつあの外周をたどる間、すれ違ったのはたったのふたりだけだった。

夏雲湧く高原歩きを堪能したあと、せっかく遠くからおいでなのだからとビーナスラインで遠回りして帰る道すがらで立ち寄った車山肩では、鹿柵の中だけとはいうものの、今年はニッコウキスゲの花がすごい。例年ならもう少しあとのように思うが、今まさに盛りである。これだけの花は昨今見たことがなかった。
強清水から車山肩へ(霧ヶ峰)

この3連休に霧ヶ峰に行った人から、車が渋滞して強清水から先へ進めず、引き返したと聞いた。文字通りの車山になっていたわけだ。鹿柵の中だけとはいえ、今年はキスゲがすばらしいから、その情報が行き渡っていたのだろう。

久しぶりの木曜山行は霧ヶ峰納涼散歩とし、大胆にもその渦中を歩いてみることにした。すなわち強清水から沢渡、そして車山肩へとたどってみようというのである。実のところ、自分の霧ヶ峰探訪の長い歴史の中でも、さすがにここは観光地だからと避け、歩いたことがなかった。いわば、自分にとっては最後の秘境?なのであった。

酷暑の東京を脱出し、鉄人M夫妻が4年ぶりに参加してくれるという。ならばこんな安易なコースではお気の毒だからもう少しひねった案はないかと考えたが、いい案が浮かばずに初志貫徹とした。ところが、歩いてみればこれがとんだ穴場だったのである。

強清水の駐車場はガラガラで、やはり平日はありがたい。強清水に近い鹿柵の中のキスゲは完全に終わっていて、しかし、代わってそれ以外の夏の花たちが一斉に咲きほこっており、キスゲ一色より楽しめるように思った。

キスゲが終わっているからか、歩いている人もおらず、結局、車山の肩に着くまでに見たのは数人だけだったのには、いかに平日とはいえ、これが霧ヶ峰の中心部かと驚いた。北アルプスまではさすがに望めなかったが、中信高原の過半を見渡しながら、エアコンならぬ本物の霧ヶ峰の涼風を浴びながらたいした汗もかかずに歩くことができた。一面の緑、湧く夏雲、やはり高原は夏が一番良く似合う。

車山の肩ではキスゲがまだまだ残っており、観光客に混じって楽しんだあと、強清水までの歩道は、また誰もいない静寂境だった。

肩から車山に登る人は多いが、どうせなら強清水から登るのが絶対のおすすめだと思った。

池のくるみ西側をさぐる(霧ヶ峰)

数日前の予報がまったくあてにならない今年の夏である。晴れ間があるはずだった昨日も雨が降る予報に変わって、これではと木曜山行は中止にしたが、このままでは8月は一度も山歩きをしないまま終わってしまう。昼間の数時間は曇りで推移しそうな気配なので、イチかバチか、ひとりで出かけることにした。

これも雨で流れた、8月最初の計画をもう一度と考えていた。すなわち、かつては霧ヶ峰への第一の経路だった池のくるみの西側の道を歩いてみようというのである。地形図にある実線は今でも車が通れるほどの道で、それらのほとんどはかつて歩いてみたことがある。探ってみたかったのは破線のほうで、要するに、薙鎌神社の南北にある破線を使って周回してみようという計画だった。

幸いにも雨はやんだが、しかし、踏跡探しをするには最悪のコンディションといってよく、丈が低いからよかったようなものの、笹に残った雨滴で膝から下はびしょぬれになった。つまりはびしょぬれになるくらいの道筋しか残っていなかったわけで、はっきりした部分でも添付写真くらいだったのである。最も草深い時季だったせいもあるだろうから、他の季節ならもう少し楽に歩けるかもしれない。それにしても薙鎌神社南側の破線はかなりの難物であろう。

薙鎌神社の西側はきれいに伐採してあったから、天気が良ければ大展望が得られるに違いない。秋の晴天にでもまた訪れてみたいと思う。

山の変化は人為によるものがほとんどで、中信高原ほど観光開発で往年の姿が失われた場所は滅多にあるまいが、同時に気候の変化もすさまじい。池のくるみ近辺が、かつては長野県一のスキー場だったなんて想像もできない。昭和9年、上諏訪駅に降り立ったスキー客は13000人近くあったという。今では人跡まれなカボッチョ北面には60m級のジャンプ台があったし、池のくるみの防火帯には夏場の海の家のごとく、山小屋がずらりと立ち並んでいたのである。

当時の写真が、池のくるみの宿、旅人木さんのサイトで見られる。これってほんとに今と同じ場所?。踊り場湿原一帯のみならず、昨日下った薙鎌神社の西斜面も戦後まもなくのころはスキー場だったのである。むろん、そんな痕跡は皆無だった。

今年の計画に戻る  トップページに戻る