片山(甲府北部

もう何度出かけたかわからない紅葉の片山だから、今年はやめておこうと思っていたのが、先週の白砂山の行き帰りに片山を見て、やっぱり今年も行こうよとのリクエストで気が変わったのだった。

せっかく行くのなら紅葉の向こうには青空がなくてはならないが、期待どおりの大晴天となった。ただ紅葉を見に行くだけでは山歩きとしては面白くない。おそろしく多くの道のある片山だから行程はいくらでも増減できる。昨日はなるたけ遠回りをして片山を一周した。

こんな好天で、しかも紅葉の盛りでも人が少ないのが片山のいいところ、頂上稜線では数人を見たものの、それ以外ではたったひとりの人影も見なかった。

さて今年の紅葉はどうだろうと少々心配しつつ到着した西の平では、これまでにないグラデーションを楽しむことができた。これは今年の不順な天気のせいで、紅葉としては低調なのかもしれない。しかし、初夏のような緑から、黄色、そして文字通りの紅葉までが目の前をとりどりに覆うのには驚かされた。つまりは紅葉一辺倒の年よりは怪我の功名的に素晴らしい光景なのではないかと思う。

片山(甲府北部)

冬は好天が続く甲州だというのに、前日になっても行先が決まらない木曜山行だった。秋までなら中信高原へでも行ってお茶を濁すのだが、師走ともなればそういうわけにもいかない。

先週の片山の帰りは長潭橋経由で、片山の最後の懸案だった北側からの登路を横目で確かめながら車を走らせた。登路というよりは、車を置く場所を探したのである。結果、何か所かは停められそうな場所があったが、できれば停めたくないような場所ではあった。

そんなこともあって、この際、今年中にその懸案を片付けてしまおうと思いついた。紅葉もまだ残っているかもしれないし、参加者がおとみ山だけなので選択に文句はあるまい。

車の駐車に気を遣うのは面倒だとバスの利用を思いついた。昇仙峡行のバスをつかまえれば話が早い。

万事首尾よくバスの人となってほんの数分で下車、目星をつけていた場所から道に入ったら、片山のそこら中にあるのと同じ案内板が半ば草に埋もれて立っていた。整備した当時はここもれっきとしたルートだったのだろう。今、これを登る人がどれだけいるだろうか。片山の他の歩道と同じく、かつては車が通ったのだろう道には久しくそんな往来どころか、人が歩いているようにも見えなかった。

現在の地形図では片山の名前が東端の665mに入っていて、それが一般的になっているが、本来は西端が切れ落ちた山容から片山(肩山)の名前があり、東端の高まりは大宮山というとは山村正光さんの本から得た知識である。今でも片山というバス停はその切れ落ちた部分の真下にある。したがって、公園地図で「西の平」とされているところを片山としたほうが誤解がないのだが、甲府名山に選ばれたというので片山と書かれた立派な山名標が大宮山に建てられた今ではもう修正は無理であろう。ちなみに片山になっているところの三角点名は「大宮」、西の平にある三角点名は「石山」である。

昨日のルートは本来の片山を北から南へと横断したことになる。今週火曜日未明の大雨でカエデはかなり葉を落としていたが、それでも何本かは真紅を残していたし、ナラなどの黄葉はまだまだ美しかった。
スズラン峠~破風山~新道峠(FUJIYANAツインテラス)(河口湖西部)

山歩きを再開した20代の終わりころ、もっとも足しげく通ったのは自分の職場があった御坂山地で、大げさに言えば、石川啄木のふるさと的に思うところがある。

新道峠の芦川への径は今でも地形図に破線が残っているが、当時でもすでに廃道に近く、その痕跡を探しながら下ったのを思い出す。現在稜線直下まで達している水ヶ沢林道など影も形もなかった。

その林道ができたのを知ったのも、もうかなり前のことで、富士山の写真に新道峠から撮ったものが妙に増えたので、あそこまで歩いて写真を撮りに行くとはたいしたものだと思っていたのが、何のことはない、歩いて5分のところまで車道ができていたと知り、なあんだそのせいかと納得したものだった。

久しぶりにお泊りになった山岳ガイドの平田謙一さんに、その新道峠に驚くべき展望台が出現したと教えてもらった。この週の木曜山行で行くところを考えていて、ではさっそくそれを見学しに行こうじゃないかと思いついた。無料で運行されているというシャトルバスが冬の運休となったのも都合がいい。芦川の奥からすずらん峠と破風山を経由すればちょうどうまい周回コースになる。

前日の雨がさすがに山では雪だったらしく、四囲の山々が神々しいくらいに白い朝だった。芦川の谷をさかのぼると行く手に見える御坂主稜も高いところは白くなっていた。

すずらん峠への径には一ヶ所危ういところがあって、雪がついていたら面倒だなと思っていたら、径の入口に、危険につき通行禁止と役場による貼り紙がしてあった。別に冬だからといったことでもないらしい。ここでまず怒りがこみ上げる。いったいどれだけ金がかかったのかもわからないほどの展望台を造っておいて、登山道の改修もできないのだろうかと。危険なのは沢の高みをトラバースする、わずか数十メートルくらいの間だけなのである。そもそも、すずらん峠という名前から察するに、芦川源流部のすずらん自生地を観光地として売り出す一環として拓かれた径のはずではないか。

とにかく行ってみて考えようと貼り紙を無視して登りだす。やがてこの冬初めての雪らしい雪を踏むようになった。くだんの場所にはべったりと雪がついて、ひとりなら突破するにしても人連れだと見ているほうが気持ち悪い。安全策を取って大きく高巻くことにした。峠まであと10分のところを1時間かけて高巻いた。老婆心ながら言わせてもらうと径のつけ方がおかしい。崩れることが予見される場所に径を通すのがおかしいのである。

主稜線に出てしまえば苦労が報われる、ほどよい積雪を蹴散らして歩く楽しい山道だった。富士には面白い雲がまとわりついている。御坂の山は富士が見えてナンボのところがあるから上々の御坂日和ではあった。

破風山を越えてたどり着いた展望台、いずれカフェでも併設するつもりだろうか。コロナ以前、富士山富士山とやってくる海外客を当て込んでこんな施設を造ったのだろう。ツインテラスという名前は二ヶ所の展望テラスがあるからだが、二つともほとんど変わらぬ場所の富士山側にあって、ここまでするなら、なぜひとつは北側に造らないのかと思う。そうすれば南アルプス、八ヶ岳、奥秩父、さらに遠くには北アルプスまで、日本を代表する山々の展望台にもなるではないか。

ま、言いたいことは多々あるとしても、我が身の文明への依存度を思うとき、何を言おうが忸怩としないではいられない。唇寒し。
八ヶ岳ジャイアントテラス(谷戸)

木曜山行の朝、八ヶ岳が雪で真っ白になっていることがここのところ何度かあって、近場の八ヶ岳の展望のいい山へ行けばいいだろうなあと思った。

我々の方角から見る八ヶ岳は真白な状態が長くは続かない。降雪後の朝に神々しいほど白くなった山も、午後にはもう黒い部分が多くなっている。

要するにチャンスはそう多くない。しかしすでに決めてあった行先にもむろん魅力があるわけだから、後ろ髪引かれながらも予定どおりに出かけた。

先週は新道峠の「FUJIYAMAツインテラス」に行って思う存分富士山を眺めたので、今週は地元の八ヶ岳を眺めましょうと思った。冬は雲に埋もれることが多い八ヶ岳なので、もし見えないような日ならどこか他に転進すればいい。

幸いにもすっきりと八ヶ岳が見える朝になった。雪は少ないがこの際贅沢は言っていられない。行先は6年近くぶりになる「八ヶ岳ジャイアントテラス」である。

6年の間には、植林の成長と伐採で取り付きの風景が変わっていた。しかし登っていくうちに記憶がよみがえる。新緑の時季にでも歩けばすばらしいだろう林が続く。

今回は展望が主眼なので、天気が崩れないうちにと適当にショートカットしてジャイアントテラスのある尾根に出た。

新道峠のテラスに較べるのも愚かな狭いテラスは、私とおとみ山のふたりで満員御礼、3方が切れ落ちているから山を眺めながら飯を食うといったのんびりとした場所ではないが、その分展望は抜群である。存分にシャッターを切ったあとは、稜線に戻って1時間近くを過ごした。

実のところこの展望岩をジャイアントテラスと名付けたのは、この岩を横から見たらどうだろうと岩の周りを歩き回ったときのことだった。誰が見ても一目瞭然だろうと思う(参照)。「仏岩」の名前もよぎったが、どちらかといえば「片山のモアイ」的な顔である。で、「富士山ツインテラス」同様、横文字で「八ヶ岳ジャイアントテラス」と命名したのであった。

     
中山と納会(長坂上条)

木曜山行の納会の日に中山に登るのはたしか3回目である。近場で軽い山歩きに最適だからだが、伐採で展望が良くなってから魅力が増した。とはいえありきたりのルートではもう面白くない。

今年の1月に台ヶ原からの旧道を探った。途中にワラビ畑があったので、4月に様子を見に行ったのだがまだ早かった。その帰り、近道をして適当に斜面を下っていたら奇妙な岩を見つけた。

岩の真ん中に手が入るくらいの長方形の穴が20個ほど横一文字に穿ってある。さてこれはいったい何だろう、むろん人間の仕業には間違いなかろうが、誰がかは当然わからないにしても、目的がまったくわからない。

そこで、今年の納会の中山ではその岩を他の人にも見てもらい、そのまま頂上まで登ることにした。問題は適当に下った途中のことだったので首尾よくそこまで行けるかだったが、探すほどのこともなく見つけることができた。

4人でああだこうだと考えたが結論など出るはずはない。だが、微動だにしないように見える大岩も、長年の間には動いている可能性はあるだろうという話になった。ならば、横向きに穿たれているように見える穴も、ひょっとして真上から穿たれたものかもしれない。ならば岩を割るのにくさびを打ち込むため?しかし、わざわざこれだけ均一な穴を穿つ必要があるだろうか。ま、いずれにせよ目的はわからない。

台ヶ原からの登路は、尾根筋がはっきりするにしたがって径形も同じくはっきりする。歩くしかなかった時代に拓かれた径は実に歩きやすい傾斜である。御神燈を見るとひと登りで中山峠からの稜線に合する。

風もなく暖かく遠望が少々霞む。いかな大展望といえども数えきれないほど楽しんだからさすがに新味はない。すでに興味は宴に移っている。早い昼を済ませて下った。

夜は今まで納会で何度も利用した隠れ家的料理屋を貸切って、総勢8人が遅くまで気炎をあげた。私の病気のせいで軽い山歩きに終始した今年の木曜山行だったが、数えてみれば44回と、これまでと変わらない回数出かけることができた。

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