富士塚山(豊科・三才山

たまには松本方面へも遠征しようかと、前年に計画しながら自分のケガで中止にした富士塚山の計画を思い出した。たまの遠出ならやはり天候が気になる。つまり安曇野あたりではやはり北アルプスが見えてこそである。

春には珍しいと思える乾いた晴天続きで、木曜日の好天も保証付きというのなら出かけましょうと出かけて、やはり最高の日和だった。

南麓の錦織神社から登るのが一般的らしいが、その往復なら少々面白みに欠けそうだと、自転車を活用して西から東へと山越えしてみることにした。小さい山だから径などなくとも何とかなるし、実際には車の通れる作業道が頂上まで通じていて、藪を漕ぐようなこともほとんどなく頂上まで導かれた。途中では採りごろのコゴミもあって、文字通りの道草を食った。自分の住処より標高が低いけれども、少々緯度が高いせいで新緑が初々しい。久しく車通りもないらしく、倒木も片づけられていなくて、わだちもない柔らかな道をのんびりゆっくり、実に健康的な山歩きである。

頂上直下は小さな桜公園となっていて、花はほぼ散ってはいたものの、正面に常念山脈を望む絶好の展望台になっていた。あまり下調べもせず、山からの展望は期待していなかったのだが、これはすばらしい場所である。昼には少々早かったが、そこで長い昼休みとした。

鳥居やら祠のある頂上は開けてはいるが北アルプス方面の展望には恵まれない。というのもくだんの植林の桜が邪魔しているからで、ここらはちょっと植え方にセンスがないね。

下りの尾根はいかにもマツタケ山で、ところどころに止山の標識があるから秋の入山はご法度であろう。踏跡が錯綜しているので、おやちょっと変だなと思ったときには予定の尾根からはずれていた。例によって薬の副作用で足がおかしくなってきていたので元に戻るのはやめ、車道に降りてしまうことにしたのはちょっと残念ではあったが、足をひきずって歩く田舎道も、淡泊な山桜がところどころで新緑に混じってなかなか味わいがあったとは負け惜しみである。

鳴雷山(塩尻)

地形図への山名記載がどのような基準でされるのかは知らないが、記載されるからには地元では知られた山なのは当然だし、初めて地図を見る人の目に留まるのも当然である。

鳴雷山の名前をいつ知ったのか、かなり前ではある。標高差400mにもならない山だから、わざわざ塩尻くんだりまで出かけて登るにはもったいないという気分があったのだろう、触手が動くこともなかった。

ところがこちらの体調が標高差400m以下限定になってきてがぜん思い出されたのであった。それで地形図を眺めなおせば、同じ径の往復ではない、そこそこ興味深いルートも設定できる。つまり、麓の床尾集落を取り囲む馬蹄形の稜線をたどることにし、わずかながら中山道を歩き、下山後は麓一帯に拡がる平出遺跡を訪ねるのをオマケにした。

祝日に出かけることもあるまいと一日前倒しにしたのが幸いして、雲は多いもののぎりぎり雨には降られないで済みそうだった。木曜のままだったなら雨は確実のようなので、今のところ今年は天気には恵まれている。芥子望主山から南に松本平を眺めたことが何回かあるが、今回は北に向かって望むことになる。もっとも、昨日はすっきりした展望はなかったし、このあたりは大水力発電地帯からの送電網の要所にあたり、好天だったにしろ、送電鉄塔と電線に風景はどうしても邪魔される。

麓ではヒトリシズカがやっと花穂を出したばかりで、ちょっと緯度が上がっただけでも我々の地域より春は遅い。しばらく中山道を歩いて床尾集落に入り、床尾神社に参拝ののち登山道へ入っていく。わずかばかりでも里歩きがあるのは、いきなり登山道というよりは趣がある。

新緑の中を順調に登って、ちょうど昼には頂上に着いた。神社があって、雨乞いの神事があったのが山名由来なのだろう。神社の境内らしく樹木に囲まれ少々暗いので、眺めをさがしてしばらく進み、稜線上に松本平を望める場所を見つけて昼休みとした。国道を行く車の音やら中央線の電車の音やらがわりと大きく聞こえてくるのはいかにも里山らしい。

空が暗くなってきたので長居は無用と立ち上がる。一般道をはずれると、がぜん信州のキノコ山の本領発揮で見苦しいビニール紐が多くなる。当初は稜線から南にはずれた三角点まで行ってみるつもりだったが、天候と足の具合で中止とし、下山にかかった。眺めの開ける送電鉄塔が建つ場所を過ぎると踏跡が錯綜し、最後は適当に踏跡を拾って里へ出た。

下山後は平出遺跡の博物館で塩尻の歴史勉強もして、実り多い一日を終えた。
大平(長坂上条)

連休明けの木曜日は実に美しい朝となった。前日の雨が大気の塵を洗って、まさしく目の覚めるような景色である。あらゆるものがくっきりと見え、山々はより高く見える。

こちらの体調により、体力は使わないもののまず誰も滅多に行かないところへ行ってみようという方針で思い出したのは大平だった。2年前の雪の日に行ったとき、新緑の頃にでもまた行ってみたいと思ったのを実現することにしたのである。大平のことについてはそのときの記録に書いたのでここでは繰り返さない。

たった2年前に行ったばかりなのに径の記憶はあやふやで、何より麓付近には作業道が錯綜するのでなおさらわかりにくい。大平に近づくと平成13年に林業作業をした立札があるので、おそらくそれ以降20年近く仕事でここへ来る人もいないのだと思う。

かつては大規模な伐採があったのだろう、ここで作業をした人々が残した瓶や缶の類のゴミはいたるところで見られる。その後下藪がはびこることもなく新たな林が育っていて、まるで山上の庭園とも言うべき別天地となったのである。他に誰もいない広大な敷地をぜいたくに使って昼飯を食べるという目的は存分にはたすことができた。

枝越しには新雪のアサヨ峰が迫力満点の姿で現れて、新緑に新雪の山という、望外な特典には大喜びだった。
瑞牆山麓スケッチ彷徨(瑞牆山)

この2月に瑞牆山麓を歩いたのは、冬季は車道が通行止のみずかき山自然公園に歩いて行ってみようという目的だったが、誰ひとりいない公園もよかったものの、その行き帰りに歩いた林の雰囲気がすこぶるよかった。

これは新芽が吹いたら素晴らしいだろうと、その日同行のおとみ山とすがぬまさんと新緑の頃にまた行ってみようと相談が決まったのが今週の計画になった。

ところが木曜日が悪天の予報で、ならば前後にずらすとすると参加予定の方々の都合が合わない。そこで、とりあえず水曜日に都合がいいすがぬまさんと先発で出かけることにしたのだった。

ミズナラが主体の林だから、あたりが初々しい緑に覆われてというにはちょっと時季が早いと思っていたがそのとおりで、しかしカラマツはすでに色が濃いし、白樺の淡い新緑は妙な表現だが今が盛りであった。何より葉が茂る前で、枝越しに瑞牆山がすっきりと見えているのは絵を描くには好ましい。

すがぬまさんが3枚の絵を描くたびに私はだらだらと地面に寝転んで、木々からおおいに生気をもらったのである。

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