瑞牆山展望歩道(瑞牆山

事情があって、今週は行けるかどうか直前までわからなかった木曜山行だった。うまく都合がついたが行先を考えていなかったので、どうせおとみ山とふたりきりなら、先週、瑞牆山麓歩きで発見し、この掲示板で紹介したばかりの伐採地の上へ行ってみるのもいいかなと思った。幸い、午前中は晴れの予報である。

前夜になって久しぶりに風路夫妻が参加することになって一気ににぎやかになった。さてさて、行ってみれば狙いは違わず近来稀にみる大ヒット、もともと展望がいい場所なら分かり切っている展望だが、今までまったく展望のなかった場所で初めて舞台の幕が上がったのである。皆伐された山腹を見れば痛々しく感じられるものの、いずれはここも植林されて元の林になることを思えば、今の景色を楽しむにしくはない。

高登谷山の稜線から続く獅子岩から、瑞牆山、飯森山、鷹見岩、そして金峰山まで、驚くばかりの大展望である。少々昼には早かったが、ここで大休止とするのに反対する人はむろんいなかった。それにしてもすごい、これから数年、あらたな伐採がされない限りは、ここが日本一の瑞牆山の展望台であろう。

今までこの稜線で展望が楽しめたのは魔子穴上の展望台だけだったが、この景色を見たうえで、もうわざわざそこまで行く必要もなかろうと、さっさと下って冬の林歩きを楽しみ、満足満足と増富の湯にドボンで大団円となった。

諏訪岩久保観音を探る(南大塩)

今週の木曜は諏訪方面で用足をついでにしようと、山歩きもそちら方面でどこかにないかと地図を眺めた。

4年前の3月、桑原城址から双眼鏡で山を眺めていて、ちょっと気になるところがあったことはそのときの報告にも書いてある(参考リンク)。

それを思い出したのである。気になったのは地形図に現れない尾根上の突起だったが、そもそもその位置を早合点して違うところと思い込んでいたので、昨日の計画は思ったとおりにはいかなかった。

どこにあったのか今回は見つからなかったが、4年前、桑原城址の下の駐車場に、周辺の史跡の案内地図があったのを写真に撮った。字はほとんど消えかかっていたが画像処理で何とか見られる。そこに「古岩久保観音」の字を見つけ、すなわち桑原城址からみた尾根上の突起がそれに違いないと踏んだのであった。

かつてはその地にあった岩久保観音は寛政年間に甲州街道にほど近い場所に移転したとは、現在の岩久保観音の案内にある。その岩久保観音は参道の入口すらわかりにくいというのに、仁王門も立派なら、精緻な彫刻がほどこされた観音堂も立派で、かなりの尊崇を集めていたことがわかる。おびただしい馬頭観音などの石仏や、新旧の墓石群が尾根上のいたるところにある。

霧ヶ峰へ行くときに何百回となく通っている車道脇なのに知らぬことばかりである。結局、これが古岩久保だろうと思い込んでいたのは鉄平石の採掘場跡で、それはそれで見る価値があったが、目標違いだったのは残念。

ゴルフ場の柵の中はきれいなグリーン、外はヤブ、そのヤブのほうを歩いている間に勘が鈍り、最後の最後、下るべき尾根筋を一本間違った。これがケガの功名になったかもしれず、ほんとうの古岩久保までもう少しのところで行けたというのに、少々あせって安易に手前から下ってしまった。気づいたときには後の祭り、もう登り返す気にはなれなかった。

昭和38年、諏訪湖カントリークラブの開業前、今のグリーン上を峠道が越えていた。古い地形図には北大塩峠とある。地形図を見ると一目瞭然で、上諏訪から茅野市北大塩へ抜けるのに最短距離である。結局は大門街道への近道だったのであろう。この峠道は諏訪清陵高校あたりから始まっていたのだと考えられる。岩久保観音から続く尾根道は倒木で歩くのは大変だが、堀割状に残っており、長い年月歩かれていたことがわかる。清陵高校からの道はなおさらだろうと思う。次はそちら側からの道をたどってみたい。

なお、北大塩峠は別名市峠で、その名は、かつての峠の南にある1170.8mの三角点名として残っている。昨日はこの三角点まで行ってみたが、すぐそばの峠道が越えていたと思われる場所はきれいな芝生で、当然ながらいにしえの峠道の面影などみじんもなかった。
杖突峠~守矢山~諏訪大社上社本宮(辰野・茅野)

名古屋のNさんが木曜山行参加後にそのまま帰名するというので、去年暮れの大沢山に引き続き、名古屋方向への帰りがけで、車2台を配した山歩きを考えることにした。

かなり以前から諏訪大社上社本宮から守屋山へと延びる破線が気になっていた。しかし杖突峠まで車で行ける今、なかなか麓から歩くには決心がいる。絶好のチャンス到来である。Nさんに手伝ってもらってこの懸案を片付けることにした。私は去年の暮れ以来宿痾を抱えているので、体力にいささか問題がある。そこで杖突峠から上社本宮へと下ってみることにしたのである。杖突峠旧道にも興味があるが、調べてみると、どうやら林道歩き主体らしく、それでは面白くない。そちらは次の課題として、まずは尾根道を探ることにした。

自分の思う山歩きがいわゆるウォーキングと明確に異なるのは、あくまで目的のピークがあるからで、いかな下り主体の山歩きといえどもひとつはてっぺんを踏みたい。そこで、途中にある1463.7m三角点峰を昨日のピークとすることにした。点名は「守矢山」で、これは上社の神長官をながくつとめた守矢氏に由来するのだろうから、目標の山としてはぴったりである。

いかにも春らしい上天気、しかし空気は澄んで、北アルプスもくっきり見える。数年前に行ったときにはソーラー発電所建設の現場事務所が守屋山の登山口にあったのがすっかり片付けられていて、予定の工事は終わっているらしかった。かつては意味不明の建物があった駐車場付近はソーラーパネルの畑となっているのはかなり前からだったが、登山道から見える山腹にもびっしりとパネルが敷き詰められていて、山が黒くなっている。要するに面白くない光景である。

守矢山には古い作業道が縦横に通じていて、それをうまく拾えばさほど苦労なく登れそうではあったが、短距離なので直登した。三角点がぽつんとあるだけの山頂からは枝越しに北アルプスや霧ヶ峰方面が眺められた。

少々ヤブに苦しめられたのも守矢山の登降だけで、あとは上社本宮まで整備されたすばらしい道であった。整備されたというよりは長年歩かれていたので、はっきりと残っているのだろう。昨今では歩く人が少ないので、あくまで地面は柔らかく、傾斜もほどほどで、つまり、下山道としては最上といってもよかった。ところどころに立つ道標はまだあたらしく、しかしどれだけその恩恵にあずかる人があるだろう。

麓が近づくと、武居城址やら矢の奉納された石祠やら、興味深いものが次々に現れ、そのたびに休んだ。最後、麓に通じる遊歩道で上社に導かれる間には北アルプスと八ヶ岳を左右に見渡せる展望台もあって、藪山ゆえ展望としては当然ながらあった鬱憤を晴らすこともできた。

下りきったところが本宮南鳥居の前だったが、工事中にてここからは入れず、一の鳥居から境内に入り、山行の無事を感謝して参拝、じつにすばらしい大団円とあいなった。

身延山久遠寺(身延)

およそ有名な桜の観光地などには興味がないが、さんざん通った身延山の桜くらいは一度見ておいてもいいだろう、しかし車道を歩くだけでは面白くないと、方法を考えた。

今年はコロナ騒ぎでシャトルバスは運行されないかわりに門前町へ自家用車は入れるという。バスはよくなくてマイカーならいくら混んでも構わないとはわけがわからないが、結局のところ規制する側も未体験のことだから右往左往しているということだろう。

ともあれ行ってみて考えることにしようと出かけたが、結論から言うと、マイカーで渋滞が発生しているということもなく、このご時世で、まだ人出そのものが少ないのだろうと思う。

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当地ではまだ霜柱を踏む朝、裾野を下っていくと咲きかけの桜もちらほら見える。遠路横浜から中村さんとSさんが合流、総勢5人での身延入りとなった。

高速から見下ろす甲府盆地のには早くもスモモの白い花が咲いて、聞きしに勝る早い春のようである。行きしなは久しぶりに富士川左岸の桜街道を走ったが、木が弱っている様子で花付きは悪かった。

考えていた経路は道なき道といった部分もあったがわずかで、途中にあった立派な1本桜が見事だった。これを見ただけでも、歩いて行っただけのことはあった。

想像していたよりは人の少なかった久遠寺境内では、しだれ桜がまだまだ見頃だった。花の下で全ての人がマスクをしているところなどは、いつか見たときにはいい記念写真になるかもしれない。

歩くのは初めての門前通りをぶらぶら下って車に戻り、車で行けるしだれ桜を見学した。ちょうど誰ひとりおらず、これは見事だった。

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