友沢~太良峠(塩山・甲府北部

今ではわりとポピュラーになってしまった棚山は、木曜山行の初期、まだこの山が好事家向きの藪山だった頃から手を変え品を変えて登ってきた。

ほとんど最後に残った方法ともいうべき、兄川からのルートをちょうど1年前に登って、しかし、下ろうと思っていた友沢へではなく、ひとつ南の神峰沢へ下ってしまった(参照)。それはそれでケガの功名的な面白さはあったが、やはり行きそこなったところは心が残る。そこで昨日の計画となったのだった。

今さら棚山の頂上に新味はないし、標高差700mにも及ぶ藪山の登降は楽ではない。そこで今回は太良峠に自転車を配置して、目標をその南東にある1205mピークとした。これは、太良峠以南では、電波塔の建っているピークの次の高さで、太良峠から棚山へ歩くときには巻いてしまうピークのため、私もまだてっぺんは踏んでいなかった。

いつごろ整備されたものか、去年歩いた仏沢の径がほぼ廃道といっていい状態だったのは友沢も同様で、しかし、沢から急登して尾根に上がる部分にはロープやハシゴなど、きちんと整備された状態が残っていて助けられた。

友沢の入口には10体にも及ぶ観音像などが置かれているが、沢を登ってみると、相当な広さの岩窟が次々に現れ、それらの石仏はもともとその中に安置されていたのではないかろうか。その意味では友沢のほうが仏沢の名にふさわしく、地形図をつくるときに名称を間違って入れてしまったのではないかと思われた。地形図の仏沢も奇岩が多いものの、友沢の岩の迫力は段違いである。

ことに沢筋を離れるところにある大岩は圧巻で、これだけを見に訪れるのも価値があると思った。本来なら、友沢と仏沢を結んで歩道が整備されていたはずが、途中に立っていたはずの道標はことごとく朽ちて倒れ、もはや初心者向きとは言えない。

暖かい日で大汗をかいてたどり着いた1205m峰は、何の変哲もない頂上だったが、それが当たり前で、何かあるほうがおかしいのである。そこまで登り切った一同にそれぞれの憩いがあったのは言うまでもない。

松原湖~八峰の湯(松原湖)

計画的に物事をするのが苦手というか嫌いなので、今年の木曜山行もこのご時世ならなおさら計画は行き当たりばったりである。と同時に、参加人数は年々減っているから高速道路を使うような遠くの山への計画はそもそもしなくなっている。近所の山に繰り返し行ってお茶を濁す以外にはないだろうと思う。

さて昨日も参加者がおとみ山だけなら、健康物見遊山にしくはないと設定したのがヤッホードボン山行であった。ここのところ2度、松原湖畔を歩いたが、松原城址はまだだったので、これを加えてヤッホーへドボンという計画を立てたのである。山歩きは午前中に終わるので、ほぼ手ぶらで歩いて昼食はヤッホーの食堂で贅沢にという、自堕落極まる山歩きなのである。

なんという好天、すべての山がくっきりと見えて気分は上々であった。まずは大月湖の横の山にある神社を訪ねたのち湖畔に降りて湖岸を巡り(これは一度行けばもういいところ)、松原湖へ移る。釣り船が一艘浮かんでいるだけの静かな松原湖だった。湖岸の歩道を歩く人などひとりもいない。湖岸を4分の3周したところで稜線に入って城址へ。この稜線はなかなかいい風情だった。坂を登り切ったら広い台地になっているのは地形的には面白い。つまりはそこが松原湖高原と呼ばれているところで(松原諏方神社のサイトによると御射山原)、キャンプ場やら別荘地になっている。ヤッホーもそこに建っているわけだ。

御座山を背に歩いてヤッホーにたどり着き、昼過ぎになっていたのでまずノンアルビールで乾杯して腹ごしらえ、そしてドボン。この時季だから空いていて気分がよい。他に誰もいない露天風呂から八ヶ岳を一望した。
千代田湖~片山(甲府北部)

この数日前に片山に行って、今年の紅葉は今一つに感じた。だから、もう木曜山行で行くこともないかと思っていたのが、それでもおとみ山が恒例だから今年も見たいというので出かけることにした。それに久しぶりの風路夫妻が加わった。こちらは片山は初めてだというから、それなら楽しめるだろう。山旅号がドッグ入りしたので、代車の軽四貨物車に満員の4人乗車で「密」になって出発した。

ひとくちに片山といっても、おそろしく多くの歩道が張り巡らされているので歩き方は無数に選べる。その中でもまだたどっていない道を歩いてみようとコースを設定した。先回発見された片山のモアイも行程に入れた。その結果、最短なら30分もかからない片山西ノ平まで2時間半かけて歩いたのだからご苦労様なことではあった。今回は片山のおもに北側斜面を歩いたが、しっとりとした雰囲気のいい林である。

ようやくたどり着いた誰もいないモミジの林で遅めの昼食、なんとも贅沢な時間だった。
朝倉山(南大塩)

今年の木曜山行も残すところあと数回となったので、納会は早めの昨日とすることにした。つまりは、山歩きをしたのち反省会?をしようというわけだ。

「反省」となれば行く山はおのずと決まる。そうです。朝倉山です。2月、この山からの下山中、不覚にも足を骨折し、同行の方々に迷惑をかけた。今年中にもう一度登って禊を済ますことにしたのである。ごく短い行程なのも好都合だ。

八ヶ岳の展望台だから天気が気になったが、申し分のない好天となった。登路には御嶽講や駒ヶ岳講の石碑が多くあって、急な坂道も楽しみながら登れる。城址の山だから掘割など人工的な地形があるのも興味深い。早い時間に頂上に着いて、八ヶ岳を目前に年末放談が長く続いた。

北口への踏跡は年々薄くなっているように思う。落葉のせいでよけいにわかりにくく、初めての人には見つけられないくらいである。歩きにくさがようやく終わるところが事故現場で、ああ、ここだったと思い出した。そこから車の入れる場所に出るまで、おそろしく遠く感じたのが、普通に歩いて10分もかからなかったのには驚いた。

夕方からは有志が集って近所の隠れ家レストランを貸切って納会をした。このご時世に人ごみから離れた場所で食事会ができるのは田舎ぐらしの贅沢というものであろう。

     
 小野~大沢山~善知鳥峠(北小野)

「初詣」の字に反応したわけでもあるまいが、昨今珍しい8名もの善男善女が参集した木曜山行だった。

確実に好天であろう甲府盆地近辺の山を最初は考えていたのが、名古屋のNさんが参加後にそのまま帰名するというので、それなら帰りがけに登れる山がいいだろうと地図を眺めた。車が2台あるのだから、それも生かしたほうがいい。

そこで目に留まったのが善知鳥峠東の三角点峰だった、点名を調べたら「大沢山」と山の名となっているのも好ましい。善知鳥峠あたりは霧訪山や大芝山に登ったときに調べて土地勘もある。

北アルプスは雪雲の中だった。そこからの風花が舞ったのだろう、塩尻峠のトンネルを抜けて松本平へ出るとうっすらと雪が積もっていた。まずは小野神社、矢彦神社に「初詣」をした。これらかなり大きい神社がまったく同じ規模で仲良く並んでいることや、塩尻市小野、辰野町小野と、小野宿の真ん中で行政区分が分かれていることなど、調べてみると面白い。

神社記号から取り付いた尾根の末端には城跡があったらしく、今では樹林に隠されているものの、それらがなければ伊那街道を見おろす絶好の位置である。今では国道153号線となっているこの街道は、飯田を経て県境を越え愛知県に入り、名古屋に通じている。私が名古屋に住んでいたのはこの国道のすぐそばで、私もNさんもこの国道を通って高校に通っていたのである。名古屋では一般に飯田街道と呼ばれていた。

さて、まずまず思ったとおりのラインで歩いて2時間半で頂上三角点に達した。ところどころでは立派な径とはなるものの、概してかなりの藪尾根で、葉の落ちた季節でなければとても歩けたものではないだろう。

大沢山の西側はまだ伐採したばかりで松本平方面が見渡せる。昨日は雪雲の隠れていたが、晴れていたら北アルプスがよく見えることだろう。大沢山から善知鳥峠へは、日本の中央分水嶺を期せずしてたどることになった。したがって、この山はそのラインを歩く人には知られているらしく、塩尻峠から稜線をたどった記録が散見される。私は善知鳥峠に下って、「水のわかれ」の碑を見るまで分水嶺のことはまったく頭になかったのだからうかつな話だった。

伐採地以外での展望はほぼ皆無だが、稜線からはときおり枝越しに雲に頂稜を隠した八ヶ岳が見えた。午後にはその雲が取れ、帰りがけの車窓からは、まず滅多にお目にかかれないような純白の八ヶ岳が見られたのは望外のおまけといってよかった。

     
 鳥坂峠~春日沢の頭(河口湖西部)

鳥坂峠から春日沢の頭へ歩くのは調べてみたら15年ぶりだったのには驚いた。春日沢の頭は稲山ケヤキの森からは何度も登っているのでそんなふうに感じるのだろう。

御坂山地の最高峰、黒岳から北に派生した長大な支尾根は御坂第二主稜とか芦川北方稜線とか呼ばれている。そのすべてを歩いてみて感じるのは、ことに黒岳から春日沢の頭までの稜線の樹林の良さである。

鳥坂峠から春日沢の頭は、そのエッセンスをつまみ食いするような山歩きで、今年最後の木曜山行にはちょうどいいと思った。というのも、ちょうどクリスマスイブで、それを今さら楽しもうというわけではないが、何にでもかこつけて飲む理由にするタチとしては、軽く歩いて体調を整えておきたかったわけだ。

鳥坂峠の登り口まで、旧トンネルへの舗装路を歩くのだが、路面は落葉に埋まってほとんど舗装面は隠れていた。ちっとも雨が降らないので、山はカラカラに乾いていた。

のんびりと稜線を上下して1時間あまりで頂上に到着した。かつては甲府盆地側に展望があったのだが、灌木が茂って眺めを隠してしまった。こういった山頂は定期的に伐採するのがいいと思う。山梨百名山には西隣の突起が選ばれたが、どうみてもこちらのピークを選ぶべきだったと思う。

午後になって陽がかげってきたので、誰からともなく腰を上げた。帰り道はさらに早かった。時間が余ったので大石まで富士山を見に行ったり、これまで知らなかった新しい温泉に浸かったりし、夕方からは「ささやかに」今年の慰労をした。

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