湯村山~白山(甲府北部

春から初夏にかけては新緑を求めて山歩きをする。要するに標高を徐々に上げて夏へと向かうことになる。さて今週はどこへ行こうかと考えて、700mくらいまでの山がいいだろうと、久しぶりの要害山を思いついた。

この山の周辺は、整備された歩道もある一方で、滅多に人の訪れのない稜線やピークや廃れかけた峠道もあって、それらを組み合わせると楽しめるところだが、こちらの足のことを考えて、深草観音に参ったあと搦め手から要害山を訪ねるという穏便な計画とした。

ところが緑ヶ丘への交差点を曲がったときに湯村山から白山のなんとも美しい緑の稜線を見たら気が変わってしまった。要害山は松山だし、深草への沢筋の径はいささか暗い。

気が変わって正解。緑ヶ丘スポーツ公園の駐車場から歩道に入った瞬間から新緑に抱かれた。さすがにコロナウイルス騒ぎの中、平日にはまったく見たことのないほどの老若男女が歩いたり走ったりしていた。当然のことであろう。とはいえ、せいぜい数分に一度すれ違う程度のことで密集とはほど遠い。湯村山から先は人影は少なくなった。

白山を越えてシロイワカガミの群生を見に行ったが、今年は暖かくなるのが早かったからすでに数輪の花を残すのみだった。そのかわり、下りに使った古い歩道では、道端にキンランを一輪発見した。これは長い山歩きでも初めての経験だった。写真を撮ったが、帰ってから見たらピンボケだったのは残念。

中山(長坂上条)

中山は山村正光さんの『中央線・車窓の山旅』(実業之日本社)を読んで知った山だった。初めて登ったのは八ヶ岳に移住する前で、四半世紀前のことになる。今は別荘地になったり伐採されたりして周辺が明るく開けている中山峠はうっそうとした林の中で、そこから頂上へと長い階段が続いていた。その往復だったので1時間あまりの山歩きだった。

頂上の異様に立派な展望台はすでにあって、しかしそのてっぺんに登っても周りの木々に邪魔されてさほどの展望は得られなかった。林の高さを抜いて展望台を造ったはずだったのが、10年もたたないうちに林がさらに伸びてしまったのだろう。一千万円単位の金がかかったに違いない展望台は昭和62年の建設で、おそらくサントリーのおかげで白州町が潤っていたのだと思う。

立派な展望台があっても展望なしではどうしようもない。中山峠から地元の人がたまに往復するぐらいだったのではなかろうか。東側、萬休院へは道はしっかりしているものの道標は皆無で、それだけに静かでちょっと面白い山歩きができたから、八ヶ岳に越してきてからも何度か登った。しかし、がぜん回数が増えたのは2017年に展望台ピークが伐採されてからだった。

どこへ出しても恥ずかしくない第一級の展望の山となったのである。以来、いろいろな人と一緒に登って、数えてみたら今回が10回目だった。今週の山をこの山にしたきっかけは白州に別荘を持つDご夫妻が毎日目の前に見ているのにまだ登ったことがないと聞いたからだったが、自分自身もよくよく考えてみたら新緑の時季に登ったことがなかった。ならば標高的に今がまさしく新緑のもっとも美しい頃であろうし、コロナ騒動で遠出がはばかられる時期とあってはちょうど手ごろだろうと思ったのだった。

選んで正解だった。まさしく山中は萌え出づる春で、おおいに英気を養ったのである。念のために他人と会わないだろうルートを登ったが、結局頂上にも4人しかおらず、しかも我々と入れ替わりに下ってしまったので、春としてはくっきりとした山々の大展望を独占して長時間休むことができた。展望台は冬の間に塗り替えられたり床板が張り替えられたリして面目を一新していた。これだけ予算がつぎ込まれているのなら市の宣伝にも力が入って人出も多くなるかもしれない。

登る途中に中山峠からの一般道を歩くのでは見ることのできない御神燈がある。前回訪れたときにはきちんと立っていたのが、どういうわけか倒れていたので、名古屋のNさんと協力して立て直した。ここには当然神社があったわけだが、昨日はこれまでと少々尾根筋を変えて登ったおかげで、この神社に至る径を発見できた。これはすなわち中山への旧登山道のはずである。近いうちに、この中山への旧登山道と中山峠の旧道も探りたいと思う。
大明神山(茅ヶ岳)

以前、木曜山行で大明神山を歩いたときに書いたのが以下で、復習の意味で今一度書いてく。

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「大明神山」は『甲斐国志』にも出てくる地名で、その記述から察するに、上芦沢集落の西側一帯の山域を指すのではと思われる。稜線上の1194.9mの三角点は新しい4等点で『甲斐国志』の地名と関連があるのかどうかはわからないが、点名は「大明神」である。

一方、「大明神岳」とは女岩のコルの南東にある小突起をそう呼ぶことになっているようだ。しかしどうにも「岳」とは大げさで、ほんのコブに過ぎない(もっとも平見城あたりからはそこそこの山に見える)。そこから南方向へ2本の顕著な尾根を派生し、いずれも大明神開拓地(深田公園の北方一帯にあった開拓地)へと下っているのでいつしかそう呼ばれるようになったのだと思う。もっとも、大明神山の名前が先にあって開拓地の名前が付けられたのが順当ないきさつだろうから実にややこしい。

ともあれ、女岩のコルの南東、1550mの突起を「大明神岳」、そのさらに南東の、1194.9mの四等三角点がある山を「大明神山」として区別しておこう。

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コロナウイルス騒ぎで山歩きまで自粛だというが、こちらがそれに反論したとて、返ってくる口調はわかりきっているからバカバカしくてその気にもなれない。粛々と出かけるだけである。

バリケードで駐車場が封鎖された深田記念公園を横目に、もう少し進んだところに車を停める。ここを基点に周回するコースは私のお気に入りで、藪山歩きには珍しく好展望が楽しめる部分があるのがうれしい。コース途中が大伐採され鳳凰三山の眺めが得られるようにもなったが、伐採地一帯はいささか殺風景ではある。

途中、古い径を少しくだって観音像を拝むのもいつもの通りである。観音像あたりからは新緑に覆われた清川の集落の上に富士がのそっとあって、いかにも平和な風景だ。

ひとしきりの急登で大明神山の稜線に出ると、気分のよい稜線歩きしばしで三角点に着く。休むには面白くないところなので先へ進んで防火線の頭で昼休みとした。

もっと眺めのあったところだが、カラマツが伸びて少々風景を隠していた。のんびり休んだあとは、芽吹いて間もない、もっとも美しい頃の緑の防火線を歩いて出発点に戻った。

海ノ口城山(市川大門)

標高は変らないのに、わずかばかりの緯度の違いでも春は遅くなる。新緑探訪シリーズで繰り出した海ノ口城山だったが、麓はもう緑に覆われていたが、山頂近くまで登ると、芽吹きの遅いミズナラが多いこともあって、まだ新緑には少々早い感じだった。もっとも、カラマツはすでに濃いくらいの緑で、春のもっとも美しい時を迎えていた。

2年前の初秋に久しぶりに登ったとき、それ以前から使っていた沢沿いの径がすっかり藪に覆われていた。まだ繁茂するには早いから同じ径をたどったが、早くもバラ藪に邪魔されたりした。あとで地形図を見直して、もっと他の方法もあったなと思った。次回はその方法を使ってみよう。

大芝峠から城山へと続く稜線は城山直前が実に気持ち良いプロムナードである。かつての掘割や峠道らしき痕跡も交錯して、歴史を感じさせるところも良い。昭和50年頃、ハイキングコースが整備されたことがあったらしく、当時の看板が残っていたりする。今の地形図には城山とあるが、三角点名は「栃山」で、看板の消えかかった字にもそうある。

頂上でちょうど正午となり、1時間近くを過ごした。海ノ口城址へは最初に岩場の急下降があるが、あとはのんびりとした稜線歩きである。城址のあづま屋は、朽ちていた階段が修理されていた。そこからの下山路も一部新しくなっており、わずかだが手が入っているようだ。ところどころにハリギリの幼木があり、ちょうど採りごろの芽が出ていたのでしばし収穫に励んだ。思わぬお土産を手にのんびりと城址の参道を下った。

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