物見山(茅ヶ岳

年の初めの木曜山行は山で新年会をするのを恒例としているが、今年最初の木曜は3日なので都合がつく人がなく、それならと翌日の金曜日に番外企画として有志で出かけることにした。娘と、娘の大学の友人Nさんが参加したので一気に平均年齢が下がった。

とにかく山中で一杯やろうというのだから行先の選択には腐心する。行程がわずかで径に危険がなく、しかも絶対に他の人の訪れがなさそうな山(場所)ということで選んだのは物見山であった。この山がどこにあるかを説明するのも野暮だから、原全教『奥秩父・続篇』を読んでくださいと言っておこう。

半ば藪に埋もれてはいるが歴史ある径である。途中には腰まで埋まるほどの落葉が積もっていた。

物見山の頂上で宴が張れるにこしたことはなかったが、あいにく南側が松林で日が遮られていた。そこで少し下った日当たりのいい緩斜面を選んでブルーシートをひろげた。

飲んで食ってしゃべって2時間あまりを過ごした。娘たちは舞踊科の学生で、ここでおそらく有史以来初めてのダンスが披露されたりもしたのであった。

行きには急登を避けて登った山も、帰りは急斜面を適当に下った。それができたのも降り積もった落葉があったおかげだが、その落葉の海に溺れることもあった。


三沢〜飯盛山(八ヶ岳東部)

この冬の山行計画は事情の許す限りは連日立ててあるが、やはりメインは木曜山行で、この曜日だけは山が重複しないようにしてある。

飯盛山には数えきれないほど登ったが、平沢峠からの往復ではわざわざ木曜山行で出かけるには物足りない。以前は私のお気に入りだった、丸山西稜または南西稜を登って周回するコースも、麓の平沢牧場が営業を再開しているようなので入山しづらくなった。

そこで最近では飯盛山にはもっぱら三沢から登って西へと縦走することにしている。登山者の多い飯盛山も、少なくとも飯盛山の手前までは人影を見ることは滅多にないし、何より稜線に出てからの展望がとにかく抜群である。

したがって眺めのきかない日では楽しみが半減どころではないが、昨日はその点ではまず最高の天気だった。冬らしい紺碧の空というわけではなかったものの、雲の様子が陰影に富んで、見渡す山々にも微妙な光と影を与えていた。

今回の参加者は、遠路名古屋からやまんばさん、やまんばさんの東京の友人Tさんは初めて、地元からはおとみ山とIさん。そしてIさんの愛犬、黒ラブのロク君も初めてメンバーに加わった。

大泉ではまったく道路に雪はないが、さすがに南牧村では日陰は圧接路になっていた。三沢から飯盛山まで、雪の上にケモノの足跡以外にはなかった。空の様子は寒々しいが気温はさほど低くない。富士、奥秩父、南アルプス、そして八ヶ岳はおろか、遠く頚城や上信国境の山々までの眺めを楽しみながらの稜線歩きだった。これだけ贅沢な眺めの楽しめる山はめったにあるまい。そして、展望を楽しむなら冬に限る。

単独行者が飯盛山に登っていくのが見えた。こちらはさんざん眺望を楽しんだのだから、このうえ飯盛山のてっぺんまで登りたいという人はいなかった。結局、昨日見た登山者はそのひとりのみで、こんなに人のいない飯盛山は初めてだった。

笠無(谷戸)

この冬は連日山行計画を立ててあるが、だからといって参加希望が殺到するということはもちろんなくて、ま、皆さんそれほど暇ではないということであろう。

今日の笠無には東京のTさんが手を挙げてくれていたので、ふたり以上なら催行とは謳ってはあるものの、地元の山だし、遠路参加してくれるというのをひとりだからと断るのも人道にもとる。天気も良さそうだし、行きましょうよと決まった。

さて、笠無の登り方はちょっと考えただけでも5.6通りはあって、どれを選ぶか迷う。最近では北側から登ることが多いが、寒い時季だし、さんさんと陽の当たる南側の尾根を登るにしくはないと選んだのは、藤岡神社から延びる、笠無最長の尾根であった。これを海岸寺林道からショートカットして登ることにした。

去年の冬に比志の塒に登ったとき、この尾根の途中が皆伐されているのを見て、今なら展望がよさそうだと思ったのもその理由で、そしてその通り、伐採直後ならではの大展望が楽しめたのだった。もっとも、尾根まで上がらずとも、車道の脇もばっさりと刈られていて、展望はすごいが少々殺伐とはしていた。山を変えるのは人為である。まるで知らない道を歩いているようだった。

数えきれないほど登ってもまた登りたくなる笠無の魅力のひとつはその樹林の良さで、毎度くつろぐことにしている美しい冬枯れの頂稜でゆっくり昼休みをしたのち、比志の塒まわりで周回した。

大鹿山(笹子)

日本山岳会の同好会、緑爽会の去年11月の山行が大鹿山で、私はそれに参加した。頼まれて会報に書いたのが以下の文章である。

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荒井さんがリーダーになって、田野から大鹿峠を越えて笹子へ下るというので参加することにした。というのも自分が担当しているガイドブックに大鹿峠から田野に下るルートがあるので、たまには峠道の様子を見たかったからである。ひとりで行くのは億劫だが、人の計画に便乗できるなら身も軽い。
 
私の住む八ヶ岳南麓の上空は青空だったのに、東に行くにしたがって雲が多くなった。 甲斐大和駅で首都圏からの方々と合流、駅での会話で「初鹿野」と旧駅名がつい出て、当然そちらに親しみのある年齢の方々ばかりだから、馬鹿な改名をしたものだとひとしきり盛り上がった。
 
総勢六人が私の車で景徳院の駐車場に移動し、まず参拝してから山歩きとなった。あたりはちょうど黄葉が盛りで山門脇の紅葉も美しい。
 
田野からは尾根通しに二本、沢沿いに一本のルートが間をあけずに並行して主稜線へと通じている。たまたま地形がそうだからといえばそれまでだが、それらが、甲州街道の大道が越える笹子峠の間道であったことを考えると意味ありげにも思えてくる。
 
大鹿峠への道は最南の尾根にあるが、今回登りにとったのはその北側の尾根だった。深く掘られた部分もあって、かつての木曳道かと思われた。主稜線が近づくと広葉樹の林はすっかり裸になっていたが、足元を埋めた落葉にはまだ色が残っており、いかにも初冬の風情である。稜線には立派なブナやミズナラが多く、新緑のすばらしさが想像された。
 
この日の最高点大鹿山は縦走路をはずれてひと登りだった。一番高いところには何もなく、少し低い、三角点のある場所に標識があった。ここでちょうど昼となった。
 
昼食後に下り着いた大鹿峠は西側の崩壊が進んでいるので景色を眺めるにも少々足元が危ない。甲府盆地の果てに見えるはずの南アルプスにはあいにく雲がかかっていた。
 
ここから私は車の回収と峠道の様子を確かめる目的のために景徳院に戻る。稜線上に何基も建つ送電鉄塔がやたらと目立ったことを覚えていたが、それは四半世紀も前の伐採後間もない頃の記憶で、今ではすっかり様子が変っていた。民家の庭を通らせてもらうといった感じで里に出たのは前と変わらない。
 
車を笹子側に回送して道証地蔵で峠越え組と合流したのち、最終目的地の笹子酒造にお送りした。運転がある私はそこで皆さんとお別れである。したがって、その後のお楽しみの様子については残念ながら書くことがない。

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大鹿山やオッ立のあたりを歩いたのはもう四半世紀も前のことで、すっかりその様子は忘れていたが、このときあらためて主稜線の樹林の雰囲気の良さに感激し、さっそく木曜山行の計画に入れることにしたのだった。長すぎず短すぎず、今の我々の山行には適当な行程である。しかもこのあたりは人影が少ない。

いささか長すぎる晴天続きで、むしろ雨が降ったほうが好天なのかもしれないが、山行の日が晴れているのはすなおにうれしい。文字通りの白峰三山を背に盆地の東部へと向かった。

総勢6人、久しぶりのにぎやかな山行だった(実は少人数でもにぎやかだが)。順調に大鹿山に着き、最高点にて暖かい陽を浴びながら長く休んだ。最高点とわざわざ書いたのは、頂上標識は、明らかに低い、三角点のある場所に設置されているからで、悪しき三角点信仰の典型的な例である。まあ、そのおかげで本当の山頂には何もなく好ましいのではあるが。

いっさい他の登山者の姿を見ないまま景徳院へと戻った。すばらしい好天の日なのに全行程を通じてすっきりとした展望が得られる場所がないのは残念ではあったが、帰りがけには県下屈指の展望の温泉に浸かって存分に飢えは満たしたのである。

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