大明神山(茅ヶ岳) 「大明神山」は『甲斐国志』にも出てくる地名で、その記述から察するに、今の上芦沢の西側一帯の山域を指すのではと思われる。大明神開拓地はその西麓にあたるところから名づけられたのだろう。1194.9mの三角点は新しい4等点で『甲斐国志』の地名と関連があるのかどうかはわからないが、点名は「大明神」である。 一方、「大明神岳」とは女岩のコルの南東の小突起をそう呼ぶことになっているようだ。しかしどうにも「岳」とは大げさで、ほんのコブに過ぎない(もっとも平見城あたりからはそこそこの山に見える)。そこから南方向へ2本の顕著な尾根を派生し、それがいずれも大明神開拓地へと下っているのでいつしかそう呼ばれるようになったのだろうと思う。もっとも、大明神山の名前が先にあって開拓地の名前が付けられたのが順当ないきさつだろうから実にややこしい。 ともあれ、女岩コルの南東の突起を「大明神岳」、そのさらに南東の、1194.9mの四等三角点がある山を「大明神山」として区別しておこう。 このあたりを集中的に探ったのは2014年のことで、調べたら6回も出かけている。未曽有の大雪が降った年で、3月の木曜山行では大明神山でスノーシュー遊びをしたが、おそらくそんなことはまたとできないだろう。http://yamatabi.info/2014c.html#2014c1 -------------------------------------------------------- いったん良くなりかけた天気予報が直前になって悪化し、昼前からは完全に雨だという。東京から遠路参加のTさんもいることだし、とにかく出かけるしかないと竜王駅へ向かったが、駅に近づくにつれ早くも降り出した。 いささか戦意喪失という感じになったが、北へ向かえば大丈夫だろうと楽観して亀沢川に沿って北上していったらほどなく乾いた道路になった。太刀岡山登山口の駐車場にもこの予報でしかも師走とあっては一台の車もない。ここに停めて太刀岡山と逆方向に登っていく人はまずないだろう。 ホッチ峠へは地形図に破線があるが、それらしきものはあるようなないようなで、急なところは鹿道を伝って登って行った。大明神山の稜線のほぼ思ったところに出て、あとは三角点までわずかだった。もう雨は降らないだろうとは思ったが、なるたけ先に進んでから昼休みとした。 大明神岳から清川へはかつては道標もあったがhttp://yamatabi.info/2016i.html#2016i2、今ではもう歩く人はまずいないのだろう、4年ぶりに下った小川集落への径もか細くなっているように思った。その途中の岩に置かれた観音像はいったい年に何人くらいの人を見るのだろうか。 |
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トヤンハチ(河口湖西部) |
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小泉山(茅野・南大塩) 毎年最後の木曜山行は山行後に納会をすることになっている。山の集まりとしては、ただ宴会だけというのではよろしくないと、その前に軽く山歩きをしようじゃないかというわけだが、今年は茅野の小泉山を選んだ。 塩山の塩ノ山にそっくりな、しかし茅野では二つの小山が盛り塩のように並んでいる。小泉山と大泉山である。ちなみに「こずみやま」「おおずみやま」と読む。 小泉山は公園化されていて、四方からの歩道があるが、これまで東の麓の中沢から往復するだけだったので、西から東へと縦走してみることにした。 まだ新しい看板や道標はこの秋に整備されたばかりで、ちょうどいい時に登ったことになる。山の南西の麓からのルートには途中数々の遺構があり興味深い。頂上西のピークには富士山の噴火口を模したという穴が掘られ、中には石祠があって、その名も富士浅間神社であるらしい。 ゆっくり出発したが昼前には頂上に着いてしまった。木が伸びて眺めを隠しているが、八ヶ岳や富士山、また霧ヶ峰方面はいずれ伐採されるのではないだろうか。そうなったら展望面でも楽しめる山となるだろう。早い昼を済ませ、東の麓へと一気に下った。 夕方からはロッジ山旅にて大納会、今年の山行の無事を祝い、来年に向けて意気を盛んにした。 |