天狗岳・1日目(蓼科

7月に予定していた天狗岳は悪天中止で9月最初に延ばした。すると今度は台風襲来でまたダメかとがっかりしたが、日々変わる予報ではどうやら早めに行き過ぎてくれそうで、いったん中止にしたもののぎりぎりまで待ってみようと決断をくつがえした。その結果、予定していた人に行けなくなった人が増えてしまったのは残念だったが、翌週にまた順延しても天気がどうなるかはわからない。それなら、少々影響が残ろうとも、台風一過の好天がほぼ確実そうな日に行ってしまったほうが、また天気予報を見てやきもきせずに済むと思ったのだった。

ことほどさように宿泊がらみの山行は天気がことのほか気になる。大枚をはたくのだから当たり前で、予報を見ながら一喜一憂するのも嫌だから滅多に計画をすることもないのである。日帰り圏の天狗岳を一泊山行としたのは、「健康登山」では目いっぱいの計画はしたくないし、日帰りでも行ける山ならば雨天中止でもさほど落胆せずに済むということもあったからだった。

ともあれ、天候、そして人出の点で絶好のチャンスではあった。そしてその読みはあたって、初日は、主稜線に出てからの強風には多少ほんろうされたものの、その分樹林帯では涼しかったし、風があっという間に雲を吹き飛ばしてくれたおかげで大展望にも恵まれ、山中で逢った人は西天狗の頂上にいたひとりだけ、根石小屋では我々以外にひとりだけ、と、あらゆる好結果に恵まれたのだった。

私以外に女性ふたりだけというのは、長い木曜山行の歴史でもおそらく初めてだったのではないだろうか。根石小屋名物の山上風呂ではご一緒にどうぞと誘われたが、青年特有の羞恥心で固辞した。

天狗岳・2日目(蓼科)

2日目は、風はまだ残っていたが前日ほどではなかった。早朝は霧に覆われて小屋の窓からは白一色だったが、小屋を出るころには上空に青がみるみる拡がって、前日にまさる大景が現れた。これぞ小屋泊まりの特典である。おそらく一番乗りの天狗岳頂上で、岩陰で風を避けて遠く日本海にまで及びそうな展望を楽しんでいたら黒百合ヒュッテに泊っていたのだろう十数名の団体と、続いて3人が登ってきた。それ以降は単独行の人とすれ違った以外、八方台経由で出発点に戻るまで、誰一人他の登山者はいなかった。

日帰りでも行ける山を贅沢に2日で歩いたのだから、何より時間の余裕がうれしい。気分がいい場所では必ずのんびりと休み、黒百合ヒュッテではコーヒーブレイクも楽しんだ。

歩きづらい岩ゴロ径も唐沢鉱泉分岐を過ぎて尾根道に入るまでで、北八ツには珍しい足元に気を遣わずに歩ける径になる。さらにはこの径の両側の苔がすばらしい。台風で多くの木が倒れたせいだろうか、森に陽が入って、いつもはしっとりとした苔の色が明るく輝いていた。その緑を楽しみながら快適に下って、最後は八方台にて2日間で歩いた稜線をゆっくりと眺め、午後も早い時間には大団円となった。
海ノ口城山(信濃中島・松原湖)

直前になって天気予報が悪化した。午後から雨だというのでは計画していた殿上山では不適である。そこで、先週、悪食が過ぎて体調不良になったおとみ山がやむなく不参加ということで中止にしてしまった海ノ口の城山に行くことにした。

先週はおとみ山がちょうど誕生日だということで、訊けば驚くような年齢でずっと下の我々に伍して山歩きをこなしているのだから、山の上でささやかにお祝いをしようと思っていたのだった。一週延びたけれども今週は殿上山でと思っていたのだが、あんな頂上で雨が降って来たならお祝いどころではない。その点、海ノ口城山なら、城址にあづま屋があるのでたとえ雨になっても安心である。

海ノ口の車道脇に車を停めて出発するころは、まだ高曇りで八ヶ岳の峰々も見えていた。このコースを歩くのは6年ぶりで、かつてははっきりしていた麓の道は途中から藪に埋もれて消滅していた。しかしそれも尾根筋に出てしまえばそこそこの踏跡があって、さらに城山の南尾根に入ると、一般登山道といってもよくなるし、実に樹林の美しい尾根である。尾根の西側にはっきりとした人工的な地形がときどき見える。500年前を想像すると楽しい。

気候のせいか今年はやたらとキノコの種類と量が多い。かつては秋にはこのくらいは当たり前だったように思うが、キノコを蹴飛ばすように歩くなんていつ以来だろう。

地形図上の城山の三角点名は「栃山」で、ほとんど字の消えかかったブリキの看板が残っていて、そこにもそう書かれている。看板の落書きには1976年の文字が見えるから、その頃登山道整備がされたことがあったのだと思う。

城山に登頂したころには、ときどきポツリと雨滴を感じるようになっていたので、休憩もそこそこに海ノ口城址へと向かった。ところどころ岩場があってそれまでよりは少々険しいがそれもわずかな間である。時間がたっているのでひょっとして崩壊していやしまいかと心配していたあづま屋はしっかり城址の大岩の上に建っていた。

海ノ口城には武田信玄が弱冠16歳で初めて武勲をたてたという伝説が残る。その5倍以上の年齢を誇るおとみ山の誕生日を、ささやかにしかしにぎやかに祝い、ここで1時間を過ごした。

このあづま屋やここへの歩道も、おそらく大河ドラマの「風林火山」が放映された年に整備されたのだろう。それから10年が過ぎ、あづま屋も古び、歩道もすっかり草に埋もれていた。しかし下る途中、何やら重機で作業していたから、ふたたひ整備がされるのかもしれない。

大芝集落に出たところでついに雨が降りだしたが、あとは傘をさして舗装路を歩くだけという間の良さだった。

鈴庫山(柳沢峠)

9月以来天候には恵まれない木曜山行で、昨日も決して良い予報ではなかったが、幸い現地へ向かう車窓から見る空は明るく、雲のすき間に富士山も見えたのだった。

木曜山行で鈴庫山に行くのは10年ぶりだった。去年の春先に計画したことはあったが、意外なほどの雪の多さに、鈴庫山は割愛して板橋峠方面に縦走することにしてしまった。

10年前に行ったのは、かつては藪を分けていく好事家向きの山だった鈴庫山に、三窪高原一帯の整備の一環として歩道が拓かれたことをどこかで耳にしたからだったのだろう。今では坂路に設置された木段は半分朽ちて、むしろ歩行の妨げになっていた。

少々の急登を経てたどり着いた鈴庫山は甲府盆地側に広い眺めがあるが、昨日はあいにく遠望まではきかなかった。まだ昼には早かったので、往路を戻って気分のいい林で長い昼休みをした。新緑にでも訪れたらうっとりするような林がこのあたりには多い。そんなところで過ごすには、歩道をはずれて歩いてみることだ。しかし、かつてはよほどにぎわったのだろう、そんな林にも古い空き缶や瓶が散見される。

林の中を適当に歩いてハンゼの頭の北側の園地へ出た。公園化されて誰もが歩ける三窪高原だが、最近は人に出逢った試しがない。昨日も他のハイカーとはついにひとりも行き会わなかった。

初めて三窪高原を歩いたのは30年近く前の初夏で、山を赤く染めるほどのヤマツツジが咲き誇っていた。今ではツツジは狭苦しい鹿柵の中に閉じ込められているが、花期にはちゃんと咲いて、その頃にはにぎわうのだろうか。

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