八方台スノーシュー(蓼科

悪天の予報に一日順延した木曜山行だったが、木曜の朝はロッジ山旅あたりで20pほど雪が積もって、翌日には、小倉山を変更してスノーシューで遊ぼうという計画にしていたから、これはうまい具合に雪が降ったと喜んだ。

先週は八ヶ岳の東側でスノーシュー遊びをしたから、今度は西側でどこぞに良さそうな場所はないだろうかと考えて、似たような標高の八方台を思いついた。しかし辰野館からの周回コースではちょっと面白みに欠ける。つまり、我々以前に入山者が必ずあるので、スノーシューなど不要な可能性が高いのである。スノーシューの醍醐味は、雪がなければ入らないような場所に、誰も踏んでいない雪を踏んでいくことにあるのだから。

渋の湯行のバスがひょっとして使えないかと調べたら、金土日だけは、少々遅いものの便があって、よし、それでは車を麓に置いてバスで八方台の入り口まで登り、適当に雪の斜面を一気に下ってこようと考えた。これなら90%は下りのコースになる。

ところがどっこい、大晴天に気分よく現地に向かったら、茅野市の山寄りにも昨日の雪がまだたっぷりあるのだろうと思っていたのがほとんどない。八ヶ岳の西側に降ったのだから東側にはもっとあるだろうと思っていたのが、まったく見当はずれだったのである。

下山しようと思っていたいずみ平では雪が少なすぎて、これでは最後はただの藪漕ぎになってしまう。そこで標高を上げ、御射鹿池からバスに乗ることにしたのである。さすがにこそこまで登るとまずまずの雪がある。

新雪が降ってからは我々が初めての足跡をつけていったが、案の定、八方台までにスノーシューの出番はなかった。雪は適度に締まって、無雪期より歩きやすい。雰囲気のいい森を抜け、たどり着いた八方台からは新雪の八ヶ岳をはじめ、見えるべき山はすべて見渡すことができた。

のんびりと1時間を過ごすうちには、麓で自転車レンタル業をしているというカナダ人がファットバイクで登ってきたが、結局、出会ったのはそのひとりだけだった。

下りはいよいよスノーシューの出番である。やたらと広い、尾根とも言えない尾根をさまようがごとく下ったが、無雪期でもこんなところを下る人はほとんどないだろうし、笹が雪に埋もれた冬こそが適期であろう。御射鹿池に着くころには雪が腐り始めていて、行程を短縮して正解だった。当初の予定どおりでは最後でかなり苦労させられたことだと思う。


針の山(瑞牆山)

昭和60年修正測量の2万5000分の1地形図『瑞牆山』には、今の地形図からは消えてしまった、増富ラジウム温泉の東のはずれから本谷川の北側を大きく高巻いて金山集落に達する破線がある。

明治の地図には本谷川沿いにすでに破線があるし、昭和初年には本谷川沿いには林道が通じていたらしいが、金山に入るのにどちらがより多く使われていたのかはわからない。戦前の本で、金山から山を巻いて増富へ出たといった記述を読んだことがある。

沢沿いの径は水害に弱いから、土木技術が発達する前には、多少の上り下りがあろうとも安全な尾根筋に径を造ったのであろう。大水があっても通える径があると安心である。その意味で、この破線路は本谷川沿いよりはずっと古いものだと思われる。

瑞牆や金峰へと本谷川沿いの道を数えきれないほど通るうち、途中で一瞬目にとまる、石垣の組まれた歩道が気になっていた。それが旧道の入口だとわかったのは、道を見つけに出かけた2年前のことで、しかし、その歩道が立派だったのは旧道の入り口だからというわけではなく、針の山への登山道だったからだと知ったのもそのときだった。むろん針の山など初耳で、歩道に入ってすぐに古い看板があったからそれと知ったのである。金山への旧道はこの歩道へ入ってすぐに分かれるが、ごく薄い踏跡である。

針の山とは地形図の標高点1343で、この山にかつて観光目的で歩道を拓いた名残が立派な入口として残っているということだったらしい。旧道探しのついでに登ってみたが、名前どおりの急峻な山腹に相当うまく径をつけてあるにしろ、道を踏み外せば大けがをしそうな部分も多い。かつては地元の小学生が遠足で登ったという話も聞いたが、現代の基準では先生のほうが嫌がるだろうし、温泉客が浴衣がけで気軽に登るには厳しい。最初ははっきりしていた径も、滅多に人が歩くこともないからだろう、登るにしたがって少々怪しい部分も現れる。

これを木曜山行の計画に入れたのは、体力的には楽なことと、下山後すぐに増富温泉にドボンとできることで、「健康」登山としてはたまには2.3時間の山もいいだろうと思ったからであった。もちろん人跡が稀というのは大前提である。

遅い出発でも昼前には頂上に着いて、長い昼休みをした。羅漢寺山地に似た雰囲気の頂上は、松が育って眺めを隠してはいるが、それでもなかなかの展望である。かつて歩道を整備したころにはおそらく大展望の頂上だったのだろう。

往路を下るよりはと、いったん北のピークまで登って、東側の尾根を下った。その途中の明るい林の雰囲気がすこぶるよかった。樹林越しに淡く雪の八ヶ岳が望まれ、いかにも3月の山であった。


片山(甲府北部)

この時季としては今までに経験のない積雪になった。スカッと晴れたら予定していた蜂城山などやめ、この冬最後の真白き山々でも見に行こうと思ったが、回復は午後になるらしい。重い雪にそこら中で木が倒れて停電までしたのだから下手なところへ行けば通行止もあるだろう。

停電や雪かきで出発が遅くなった。となると蜂城山はちょっと遠い。と困ったときには片山と大宮山である。あわよくば頂上に着くころに晴れて新雪の富士山もおでましに、と期待したが、さすがにそうはならなかった。下から登ってたどりついた武田の杜の施設には積雪のため臨時休業の張り紙があった。それなら人がいるはずもない。全山貸切である。

ダンコウバイやコブシや紅梅が咲いているのにあたりが雪景色なのも面白かった。要するに、どんな状態でも気の持ちようで楽しめるわけである。あとひと月もすれば、新緑に混じって山桜がきれいだろう。甲府市民が誇るべき散歩道である。

ホッチ峠下降(茅ヶ岳・甲府北部・韮崎)

私は傾斜がゆるくて長く延びた尾根をぶらぶら歩くのが好きだから、茅ヶ岳の南側の尾根はその好みにぴったりで、ひとつひとつ歩いてきた。

最後に残った大物が、頂上から大明神岳と大明神山を経てホッチ峠をまたいだのち、さらに南に延びて、中央線塩崎駅あたりで終わっている尾根で、とりあえずはホッチ峠尾根とでも呼んでおこう。山道として歩けるのは、甲斐ソーラー発電所あたりまでである。

頂上からホッチ峠までは歩いていたが、そこから南を歩いたことがなかったのは、尾根の両側に4つものゴルフ場があって、今一つ食指が動かなかったからだった。まあ、それでも話のタネに歩いてみようとホッチ峠から下ったのは3年前のことである。

ひたすら太陽に向かって歩く、とにかく明るい尾根で、古くからの仕事道や廃れた車道が錯綜し、そこそこのルートファインディングが楽しめた。ゴルフ場を見たくはないが、そのおかげで藪尾根にしては展望が開ける皮肉もあって、これなら木曜山行の計画に入れても悪くないと思った。

今年から「健康」を標ぼうする木曜山行としては、99%は下りのみというこのコースを入れるのもよかろうと冬の計画に入れた。下りといっても急ならば登りより疲れるが、この尾根には踏ん張らなければならないような急な場所はなく、これほどのんびりと下っていける尾根道もまずない。

ところが、2度流れて3度目の正直の昨日はすでに春になっていた。しかも今年になってもっとも気温が上がるとかで、暑がりの私はホッチ峠を出てまもなくTシャツ一枚になった。日本一日照時間が長い茅ヶ岳南麓を南に向かって下るというのだから、始終正面から太陽に照らされて歩くことになった。しかも標高がだんだん下がるのだからますます暑くなるのである。

ゴールになる甲斐ソーラー発電所は一部が稼働しているのみで、あとは原野状態が長く続いたから、時勢が変ってこのまま建設されないのかと思っていたら最近になって工事が始まった。いたるところで重機が動き、2年もすれば一面のソーラパネル畑が出現するだろう。そんな中を歩くのはまっぴらだから、この尾根をまた歩くことがあったとしても、方法を変えることになるだろう。

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