浅川峠〜扇山〜落合橋(上野原・大月

この4月初めの木曜山行で権現山から麻生山を経て長尾根を下ったとき、その長い下りが気に入った。しかし広葉樹がすばらしいにもかかわらずそのときにはまだ新緑には早かったので、では5月に計画していた扇山は、曽倉山に続く破線を登って浅川峠へ下るつもりだったのを、行程を長くして樹林をたっぷり楽しもうと、権現山同様、落合橋に車を置いてバスを利用することにした。要するにまた長い尾根下りで落合橋に戻ろうというわけである。

扇山はリクエストで選んだ山だったが、南側からの一般路で登るのでは芸がないというよりは面白くない。7年前の木曜山行ではその一般路で登っているのだが、登山口で写真を撮って以来、稜線に出るまで一枚の写真も撮っていないのは、登路に魅力が薄かったからだろう。

そこで北側から登ることにしたのだったが、やはり山は北側の樹林のほうが雰囲気がいい。すばらしい新緑だったのもさることながら、径の状態も上々だった。問題なのは登りついた扇山の頂上に魅力がないことで、ふたりが休んでいるだけで、昨日はそのふたり以外に行き会う登山者はいなかったが、踏み固められた土の上には前日までのゴールデンウイークの人いきれが残っているような感じがした。

まだ昼前だったし、長居は無用の頂上だからさっさと下ることにした。百蔵山へと続く長い下りは浅川峠から扇山の間の柔らかい径とは打って変わってまるで舗装路のように固かった。

落合橋へは地形図に破線があって、手持ちの1988年版昭文社の地図にも実線が入ってもいたので、それ以上下調べをしなかった。つまり道標完備の径だと思っていたのである。

このあたりで百蔵山への径と分岐するはずだという地点を数メートル行き過ぎて、オヤッと思って引き返した。暗い植林の中に薄い踏跡があって、どうもそこが分岐らしい。

一般ルートをたどるだけと思っていたからこれは意外で、最後、落合橋にたどり着くまで、いっぱしの気を遣う藪尾根だったのである。これでは昭文社の基準の実線ルートなどでは決してなく、破線ルートとしても上級のものであろう。四半世紀の間にすっかり廃れてしまったというのだろうか。

この手の藪径にはこちらは慣れているから驚かないが、尾根が広いので下りにとるのはかなり厄介かとも思う。尾根の末端に至って、これは確実だという径をとらえてもう安心だと思っていたら、最後の最後で、沢の高みに続いていたと思われる径はすっかり山抜けで消えていて、少々すったもんださせられた。

家に帰ってから調べると、この稜線はコタラ山西尾根と呼ばれていて、篤志家のみがたどる尾根らしい。参加者には、ちょっと長いが一般路を歩くだけだと言ってあったので、裏切られたと思ったことだろう。

四方原山(信濃中島・海瀬)

榊山には2度登ったが、いずれも冬枯れの時季で、頂上一帯の樹林のよさから、新緑がさぞ素晴らしかろうと5月の計画に入れた。

ところが参加者はおとみ山と山歩大介さんだけで、ふたりとも榊山には登っている。それでは方向は同じでも少し近い四方原山にしましょうかと相談して意見が一致した。この山にはおふたりはもちろん私も登ったことがない。

随分前から名前だけは知っている山だが、一等三角点がなければそんなには知られることもなかった山ではあろう。茂来山の尾根続きだから縦走していけばいいわけだが、自家用車利用ならやたらと長い稜線を往復しなければならないのでいつかはと思いながら後回しになっていたのだった。

『信州ふるさと120山』(信濃毎日新聞)というガイドブックがある。普通のガイドブックにはない山が出ているので、何度か参考にして出かけたが、そのたびにこれはおかしいのではないかと内容には疑問を持った。今回も思ったがそれは後述する。

この本に四方原山を白岩から登るルートが出ていて、フーンそれならそのルートでいずれ登ってみようと思っていたら、たわらさんが去年の秋にこれで登ったと聞いた。そこでこの秋にでも木曜山行で計画してみようと思っていたのを前倒しすることになったわけである。新緑を楽しもうという目的は榊山と変わることはない。

さわやかな五月晴れになった。登山口へ向かう道々ですでに新緑は十分に美しい。登山口への林道沿いにある、北相木村で立てた道標に惑わされて、おかしいなと思いつつ林道を上がり過ぎ、途中で気づいて引き返した。

ここが登山口だろうというところには四方原山への矢印が登山道方面とは逆を指しており、つまりそれは林道の最高所まで車を入れて登る人のための道標だったわけだが、もしそうして林道のどん詰まりまで車で行けば、四方原山へはものの30分で着いてしまう(もっとも、途中で土砂崩れで通行止)。その林道を歩いて下ったので、やっと道標の矢印の意味がわかったのである。

やたらとコゴミの多い沢沿いを何度も岸を変えながら登っていく。ピンクテープはぶら下がっているものの、この手の径には慣れている我々でもところどころで立ち止まって薄い踏跡を探すことになった。もっと緑が濃くなれば難易度はぐっと上がるだろう。たまに現れる北相木村の道標は立派な鉄製だが、必要なところにはなく、どうでもいいところに立っている。

落葉松の倒木にはしばしば行く手をさえぎられるし、標高差がたいしたことはないといってもとても一般道と言えるものではない。

たどり着いた主稜は私好みの広い尾根だが、ほぼ落葉松だけで、新緑は美しいといっても多彩さには欠ける。四方原山の小広い頂上は悪くない場所だが、まだ昼には早かったので、西へと進み、お地蔵さんがたっているところで昼休みとした。

少し戻ったところから林道への道標があって、ほんの5分で林道に降り立つ。この林道はそもそも地形図にないし、その後も何度か分岐があるのにむろんそこには道標はないのでそのたびに悩むことになった。

これが前記の本では「里山ハイキング程度、登山道整備され難所等なし」とあるのだからおかしな話である。まあ、初心者がわざわざやってくる山ではないから実害はないかもしれない。

1時には車に戻るという短時間で終わったが、5月の山を楽しめた。


恵那山(伊那駒場・中津川)

全国区の山でもなかった恵那山を最初に有名にしたのは深田日本百名山だっただろうが、それは山に登る人にだけの話で、山に興味のない人にまで名前を知らしめたのは昭和50年に開通した中央自動車道恵那山トンネルのおかげであろう。

何しろ名古屋から伊那谷への所要時間を画期的に縮めたし、工事中に噴出した温泉で名古屋から交通至便な温泉街が出来たし(余談ながら、この昼神温泉も、もし岐阜県側に出たのだったら恵那山温泉になっただろう)、完成から10年、関越トンネルができるまでは日本一の長さの自動車道トンネルとして君臨したのだから。それに山そのものの名を冠した長大トンネルはありそうでほとんどないのである。

もっとも恵那山トンネルとはいうものの、かなり恵那山よりは北の神坂峠付近の地下を貫いていて、「神坂トンネル」とでもしたほうが実質的な気もするが、この名前は上り線の名古屋寄りの短いトンネルに付けられている。

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木曜山行では深田百名山に限らず、有名山にこだわって登ろうという発想はないが、常連おとみ山が少年期にこの山の岐阜側山麓で過ごしたことからリクエストがあったのである。

私も実家が名古屋だからその行き来で何十回となく中津川や恵那あたりから圧倒的な存在感を持つこの山は拝んでいるわけだし、一度登っておくのも悪くないと計画に入れた。

夜半に嵐のような風雨と雷鳴で目が覚めたが、それも明け方には予報どおりやんだ。恵那山の日帰りは相当な強行軍である。払暁まもなく出発した。雲が取れだした南アルプスや八ヶ岳は季節外れの雪化粧をしていた。伊那谷に入ると中央アルプスも白い。それらよりは一段と低い恵那山だが、飯田を過ぎて行く手に見えたときにはやはりうっすらと雪をかぶっていた。

この雪のせいで頂稜一帯の径がぬかるんでいたのには閉口したが、暑さに弱い私は気温の低さには救われ、ほとんど汗らしい汗もかかないまま歩けたのは幸いだった。展望が開けるところではまずまずの眺めもあった。

名古屋の高校生だったとき、校舎の最上階から御嶽や中央アルプスが見えて、ことに冬は格別だった。当然恵那山も見えていたはずだが、当時は地味な山は目に入らなかったらしく記憶がない。どんな風に見えるのだろうかとネットで探すと、立派な写真があった。このサイトには名古屋から見える山々のすばらしい写真がたくさんあって興味深い。名古屋も望岳都なのである。
http://ikeshita.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=9313692&i=200902/08/90/d0042090_22551823.jpg

車に乗っている時間を含めれば日帰りとしては木曜山行史上もっとも長い行程だったかもしれない。しかしそれだけの甲斐のある山だった。

女山〜横尾山(御所平・瑞牆山)

女山の南側の稜線は木賊の頭のすぐ東、豆腐岩で甲信県境稜線と合する。前々から地形図を眺めては、いつかはこの稜線を歩きたいと思っていた。

たまたま横尾山のリクエストがあって、しかし横尾山だけでは今一つ新鮮味が欠けるというわけで、女山と組み合わせる計画にしたのだった。

女山と横尾山を縦走するにもいろいろな方法がある。最初は大平牧場から女山北端まで南北に縦走してみようかと思ったが、その場合は車を複数配置せねばならず、それも面倒に思い、ごくオーソドックスに七森沢から先に女山に登り、横尾山を経て信州峠へ下るという馬蹄型のコースをとることにした。

女山には4度登っているが、新緑の時季に登ったことはなかったので、5月の末としたのだった。横尾山の新緑の稜線がすばらしいから女山もいいに違いないとは思っていたのだが、想像以上だった。

どこでも強引に登れば登頂はできてもコース取りで山の印象は変わる。今回は古い作業道をほぼ完璧にたどることができ、今まででもっともスムーズに女山に登れた。しかもそのルートのミズナラをはじめとした木々の緑のよさといったらなかった。女山の小さな頂上は展望こそないが、珠玉といってもいい頂上である。

山は下りのほうが難しいが、尾根を下る途中、ワラビ採りに精を出し過ぎたせいか、たどるべき尾根をはずれ西に寄りすぎた。気づいたときには下りすぎていて、修正するのに少々手間取ったが、この修正中の林の雰囲気が良かったのは怪我の功名だった。

地形図にない林道に惑いながらもやっと本来の尾根に戻って少し歩いたところの笹原で昼食とした。ダケカンバとミズナラのきれいな広場だった。

そこからひと登り、豆腐岩からは勝手知ったる稜線である。それまでにはなかったミツバツツジがまだ花をたっぷり残していた。少し時間がずれたせいだろう、横尾山の頂上には誰もおらず、結局丸一日、他の登山者にはまったく出会うことはなかった。美しい一日に感謝である。

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