本窪・1421峰(瑞牆山)

2年前の春先に須玉町小森川流域の山を集中的に歩いた。まず鳥居峠から右岸稜線を歩き、次にそれを東へと伸ばした。そのとき、観音山と私が仮称している、伐採で眺めのすばらしい山からは、北側にこれはどうしても登ってみなければなるまいという、形のいい山がふたつ見えた。

地形図で調べると、1507mと1421mの標高点の山である。1507mの山は矢崎茂男さんの『月曜日の山』には「本窪」とある。1421m峰は私の知るかぎりでは名前の出ている文献はない。

さっそく、本窪の東の沢をつめてこの両方に登り、私好みの山であることを確認した。ことに1421峰の清潔な頂上が気に入った。この山には去年の冬に山歩大介さんとふたりでスノーシューをはいて再び登った。

今回は、まず本窪に矢崎さんがたどったという西尾根から登り、そのあと1421m峰へ転進して昼飯にしようという計画にした。

林道の奥では伐採作業の最中で、すでに刈られた場所からは以前にはなかった展望が得られたが、むろん雰囲気も変わっていた。このまま伐採がすすめば、本窪の裾付近まで丸裸になるのかもしれない。

林道終点近くから山腹の急登を経て尾根に乗ると、あとはそれを高いところに登るだけであった。ときおり露岩に突き当るが、それらには岩茸がびっしりと張り付いていた。

まったく人跡のない尾根だったが、本窪に登りつくと、測量杭か林界かの目印もあって、東側からは少々人の出入りもあるようだ。むろん静かな頂上だが、木の種類のせいで少し暗い感じのするところである。

いったん下って登り返す、この間の林の雰囲気がすこぶる良い。ちょうど昼前に1421峰に着いて、長い昼休みとした。展望はないが明るい頂上である。絶対に誰も登ってこない頂上でするバカ話ほど面白いものはない。倉橋由美子に「自然の中のシュンポシオン」という文章があって、要するに、寝そべって飲み食いしながらおしゃべりするには野外が良いといったことなのだが、ミズナラが芽吹いたころにでも、この1421m峰でそんな酒食をすることを想像すると、ぜひ実現したくなる。

篠井山(篠井山)

2日間雨が続いたあとの快晴となった。遠い篠井山だからまだ暗いうちの出発となったが、夜目にも南アルプスや八ヶ岳が真っ白になっているのがわかった。11月中にこれだけ白くなったのはここに来てから今までになかったことのように思う。

7年ぶりの篠井山で、木曜山行では3度目となる。前2回は遠い山だからと、奥山温泉に泊まって周辺の山と組み合わせたが、今回は日帰りである。ロッジからは山梨県ではもっとも遠い登山口のひとつで片道100キロを超える。そのうえ高速道路が通じていないので時間的には最遠かもしれない。今回は3時間かけて登山口にたどり着いた。

いつかはその時間を短縮するであろう中部横断自動車道がところどころでトンネルや橋梁の建設中で、この方面には4月の貫ヶ岳以来だったが、半年あまりで風景がかなり変わっていた。ことリニア新幹線に限らず、交通至便へのあくなき挑戦は人類の性であるらしい。

福士川溪谷に沿った車道からは下流ではまだ紅葉が見ごろだったが、登山道に入るとさすがに晩秋の風情となった。溪谷沿いの登山道は当然新緑のころもいいのだろうが、ヒルの大発生の話を聞くと行く気にはなれない。登山口のわずか下にキャンプ場もあるが、どうもさびれているように感じられるのは、そのせいで営業など成り立たないのかもしれない。

渡り場の頭で沢から離れるとヒノキ林をひたすら登っていくが、径の付け方がうまいのでさほど疲れは感じない。ヒノキ林を抜けて自然林になるとヒメシャラがところどころにあるのは南国らしい。

富士の眺望が売り物の山だが、頂上付近までまったくそれは拝めない。麓では上空の雲が取れきっていなかったので、それがまだ残っているのではないかと心配したが、杞憂だった。新雪で真っ白になって、これぞ富士山というような富士山はもちろんのこと、伊豆半島、さらに遠くにおそらく房総半島まで見渡すことができた。

ひとしきり展望を楽しんだあとは北峰に移動して3社に参拝、さらに北側の陽だまりで昼休みとした。このあたりには寺まであったというが、荘厳な雰囲気なところである。そんな雰囲気に一役かっているアスナロの大木群も植えられたものかもしれない。

北峰から奥山温泉口へ下る巻径は山抜けですっかり廃道になっていた。ここはガイドブックを書き直さねばならない。

径がいいので下りは早い。行きがけにはまだ濡れていて苦労させられた丸太橋もすっかり乾いてすたすたと歩けた。登山口に温泉があるのはありがたい。このまま泊まれれば最高だがそうもいかない。さっぱりと汗を流して帰路についた。

雲取山(丹波・雲取山)

雲取山と飛龍山を木曜山行で計画するのは10年ぶりで、そのときも雲取山荘一泊だったが、当時は車で終点まで行けた後山林道は今では途中で通行止めで、一泊なら余裕のあった行程が、ことに日の短い時季では2日目が厳しくなっている。しかし2泊というわけにもいかないのだから、少々暗くなろうが林道に出てしまえば安全という考えで出かけるしかない。

最初は往復とも後山林道を歩くつもりだったが、行きも帰りも2時間も林道を歩かされてはかなわないと、林道ゲートに自転車をデポし、鴨沢から登って、帰りだけ後山林道を歩く作戦とした。雲取山までは少々遠くなるが、眺めのよい尾根道を歩くほうがずっと楽しい。

これが大当たりで、風は少々強かったものの、快晴の初日、七ツ石山から雲取山へかけての防火線を大展望を楽しみながら登ることができた。それにしても鴨沢からの標高差1500mは木曜山行ではまずない登高で、雲取山の大きさを身をもって感じた。

12月初めに計画したのは山と小屋が空いているときを選んでのことで、むろん新緑や紅葉の時季が樹林はいいに決まっているが、それより人が少ないことを優先してのことである。雲取小屋は我々以外に登山者は4人だけで、あとは工事で来ている人が泊まっているだけだった。おかげで男女に分かれて二部屋を贅沢に使わせてもらった。聞けば年末年始は250人が泊まるとか。絶対にそんなときには出かけないのが私の山の基本方針である。


飛龍山(雲取山・丹波)

山に泊まるなら、できれば2日目の好天を期待したいが、少し前までは2日間ともまずまずの予報だったのが出かける前日には2日目の予報が悪くなってしまった。

いくら快適でも小屋では寝られないタチなので、夜中は3時間ほど本を読んでいたが、その間もかなりの風音がしていた。5時に電気がついて外を見ると東京の夜景ははっきり見えていたし東の空には星も見えていた。

しかし6時半に小屋を出ると西の空は真っ暗で、関東平野の上空だけが晴れているといった感じだった。朝の雲取山頂は風が吹きまくっていたので止まらずに通過、しかし三条ダルミまで下るとぐっと静かになった。あまりの悪天の場合はここから三条の湯へ下るつもりだったが、これくらいなら問題はない。

三ツ山付近まではいたって快適な歩道で、稜線の南側に径が付けられているおかげで風の音すらしない。富士までは望めないが、大菩薩あたりまでの展望もあって、予報からすれば上出来であった。雲に隠れていた飛龍山も霧氷をまとった姿をあらわした。三ツ山の桟道は頑丈だが高さに弱い人には怖いところである。

北天のタルから飛龍山を往復するうちには雪が降りだして、当初は禿岩で昼休みをと思っていたが、展望もないのなら行ってもしかたがたないので、北天のタルから少し下ったところの針葉樹の陰で雪を避けてそそくさと昼食をとった。

三条の湯への径は久しぶりだったが、谷を覆っていたスズタケがすっかり枯れて、山腹のトラバース道の高度感がぐっと増していた。整備の行き届いた雲取山の登山道に比べ、飛龍山のそれが今ひとつなのは登山者の数の違いなのだろう。雲取山荘を出て以来、ひとりの人にも出会わなかった。危険度は言うまでもなく飛龍山がずっと上である。

後山林道に出たらもう安全というわけで、車の回収に向かわなければならない私は先行して飛ばしに飛ばす。それでもゲートに着いたらほぼ真っ暗になってしまった。後を歩いていた人たちはたまたま通りかかった三条の湯のトラックに乗せてもらって、私が自転車で出発しようとしているところにゲートに着いた。このおかげで1時間近くは早く帰宅することができたのは幸運であった。

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