御坂黒岳(河口湖西部・河口湖東部)

金曜日に順延したせいで参加者がTさんだけになって、それでは気の毒だから中止にしてもいいですよとTさんが心配して電話をくれたが、ひとりだけでも参加者があれば行くことにしているし、そもそも、黒岳北面の登山道を私自身が久しぶりに歩いてみたくて計画したのである。

前年は11月初めに釈迦ヶ岳に登って、麓はまだしも、山中に入ればわずかながら黄葉の盛りには遅いと感じたので、さらに高い黒岳ならそれから2週間ほど早めればちょうどいいだろうと思っていたのがぴたりと当たった。

日向坂峠の手前から黒岳の稜線へ出るまでの径は地形図に破線が入っているというのに道標はないのが不思議である。入口には駐車スペースもあり、黒岳に登って、スズラン峠経由で下れば実にうまい周遊コースになる。

ごく軽い行程なのでまったく急ぐことはない。カメラが趣味のTさんとふたりなら誰気兼ねない撮影山行である。Tさんはカメラ2台を首にぶらさげて態勢は万全であった。

ブナやミズナラの多い、身体が黄褐色に染まりそうな山径である。前日までの雨はまだ乾いておらず径を覆った落ち葉はしっとりと湿っている。天気の回復が少々遅いらしく、霧が残って森を幻想的にもする。

葉を落とした木々が多くなって森が明るくなったころ、御坂主稜のむこうに富士が見えた。どうも雲海に浮かんでいるようだ。

朝出発前にテレビをつけていると、三ツ峠の定点カメラが雲海に浮かぶ富士の姿を映していた。こういった雲海は日が昇ると文字通り雲散霧消するものだから期待はしていなかったのだが、天気の回復がやや遅れていたおかげでその雲海が昼近いというのに残っていたのである。

足早になって展望台へ急ぐと、絵に描いたような雲海であった。富士だけがぽっかりと雲の上に浮かんでいる。いかに富士には飽いているとはいえ、さてさてこれでは大撮影会の始まりだ。雲の変幻自在を見ているだけでも飽きない。ほんの一瞬目をはなすと富士が姿を消したりもする。

気づけば1時間もそこで過ごしていた。高い雲が富士を隠して、光線も逆行気味になってきたのを潮時に腰を上げることにした。

私は20年近く御坂峠から富士を見てきたが、標高1300mの御坂峠では雲海の富士はそんなに見られるものではなかった。それより500mも高い黒岳はさすが御坂山地の最高峰というべきか、しかしそれにしてもこんな光景が見られるのは幸運というしかない。

今倉山〜二十六夜山(都留)

今でも書店に置いてある思うが、『東京周辺の山』(山と溪谷社)という大きな版型のガイドブックがある。その中のいくつかの山を私が担当していて、今倉山から二十六夜山へのコースもそのひとつであった。市販のガイドブックに記事を書いたのはこれが初めてのことである。頼まれたときはまだ勤め人だったので、休日を利用して調査に行った。同じく担当した倉見山に午前中に登り、午後はこのコースを歩いた。まだ若く体力があった。

このとき今倉山から二十六夜山に至る稜線の樹林の良さ、そして赤岩からの大展望がすばらしかったので、木曜山行でそのままのルートをなぞった。もう8年前のことである。

それが秋のことだったので、次は新緑のころに行けばいいのだが、前に行ったときと同じ季節になってその山や山域を思い出すことになるのは不思議なことで、同じ季節にばかり登っている山が多くある。久しぶりとなる今回の今倉山二十六夜山もまた同じ季節になってしまった。

参加者が少なかったので、あらかじめ下山する「芭蕉月待ちの湯」に車を置いて、全員でタクシーに乗って道坂隧道へ向かった。

登るにつれて背後の御正体山に隠れていた富士山がだんだん現れるのが今倉山への一本調子の登りの慰めだったが、それも伐採後のわずかな期間だっただけで、今ではほとんど展望はなくなった。

すっきりした展望は赤岩でしか得られないが、他ではないだけに貴重な展望である。少し早かったが昼休みとした。山々の同定をするうちには、富士が雲の中に入ってしまい、長い休みを切り上げて二十六夜山へと向かった。

ここからの樹林の良さは特筆すべきで、ブナやミズナラの古木のいちいちを愛でていては先に進めない。こんな径ならずっと歩いていたい。その尾根道がいったん車道に断ち切られるのは実に遺憾だ。二十六夜山の良さはこの車道によって半減するように思う。

しかし二十六夜山から戸沢への下りの前半は気分がいい。かつて月待ちの行事に麓から登った径をもちろん踏襲しているのだろう。

下山したところが温泉とは都合がいい。さほど温泉好きでもないが、山から下って間髪を入れず露天風呂にドボンと入れる気持ちのよさは格別に感じる。広い浴槽をひとりじめにして山を眺めていると、このうえなくのんびりした気分になった。

入野谷山(市野瀬)

数日前には雨が降るとの予報だったので心配していたのが、みるみるうちに好転、前日には晴れの予報にまで変わってしまったのだからついている。

入野谷山を計画したのは、展望もさることながら、頂稜東側の樹林を秋にもう一度見たかったからだったが、前日に荒船山に登り、標高1400mくらいにもかかわらず、晩秋というよりはもう初冬の風情だったのを見て、1800mにも達する入野谷山ではさすがに秋は完全に終わっているかと思いきや、南北の緯度の差であろうか、広葉樹はほぼ落葉していたものの、落葉松は最後の絢爛を見せていた。

葉が落ちた分、登るにつれて木の間に展望が拡がる。北アルプスまで見えるのは過去2回にはなかった、この時季ならではのプレゼントである。

頂稜に出ると、東側の広葉樹はすべて葉を落として、錦秋には遅かったが、冬枯れの樹林の向こうに仙丈ケ岳の雄姿を楽しむことができた。

入野谷山三角点から北笹山にかけての稜線歩きこそ、この山行のハイライトとでも言うべきで、参加者の感嘆がところどころで聞かれたが、それが一気に高まるのが北笹山への最後の登りでである。

北アルプスこそ雲がかかってしまったが、それ以外、ことに中央アルプスから南側にかけて遠く三河の山まで見渡せる大展望であった。前日夕方に雨が降ったが、そのおかげか大気も澄み切っている。

1800mの高みだというのに気温も高く風もない。Tシャツ一枚でもいられるくらいである。これでは長居しないわけにはいかない。2時間近くも頂上で過ごしたのは、今までになかったことかもしれなかった。

こういった山頂での憩を忘れられずに、また山に行くことになるのだろうな、と改めて思わされるこの日の入野谷山であった。

カヤノキビラノ頭〜大洞山(笹子)

清八山付近から派生し、金川右岸に沿って北西に長く延びる尾根の始まる場所に、立派な道標を見たのは三ツ峠に登った帰りだったが、県産材を利用したという、いかにも金のかかったこの標識は大月林務所管内ではよく見かける。それにしてもこんな尾根を歩こうという人がそんなにあるとも思えないので場違いに思ったものだったが、しかしそれらの道標設置に際して登山道の整備もされたらしく、今では歩く人も増えているらしい。

今では平日でも河口湖駅から天下茶屋行きのバスがあるので、これを利用してこの稜線を歩くなら、人が多少は増えたといっても、三ツ峠や御坂主稜を歩く人に比べれば微々たるものであろうから、静かな山歩きが楽しめると思われる。

まだ道標など皆無だったころ、天下茶屋から出発してこの稜線が御坂町市之蔵の桃畑で終わるところまで下ったことがある。朝は少々遅い出発だったが、山から里に出たときには夕暮れになっていたから、下り基調とはいってもかなり長大な稜線である。

カヤノキビラノ頭はその際に通過したはずだがまったく記憶にはない。2万5000分の1地形図「笹子」に含まれる山々にはかつてよく通ったものだが、笹子峠へは、旧峠も車道の峠にも四半世紀前に一度行っただけである。そんなわけで、笹子峠へと久しぶりに登って、カヤノキビラノ頭へ、自分にとっては未知の尾根道をたどってみようという、ごく個人的な興味で計画した木曜山行だった。

カヤノキビラノ頭と言われてもなんのことかさっぱりわからないが、山村正光さんの本では「榧ノ木平ノ頭」となっていて、これなら意味が通る。

八ヶ岳や南アルプスは雪雲に隠れる、典型的な冬型の気候で、おかげで笹子あたりの山々はすっきりとした晴天であった。風はいささか強いが、日差しがあるのでそれほど寒いわけでもなかった。

笹子峠からの稜線には、ごく一般的な登山道が通じていた。葉の茂る時季なら多少は見通しも悪くなるかもしれない。しかし峠からは笹子雁ヶ原摺山に登る人がほとんどで、南へと向かう人はまれであろう。

途中、大菩薩連嶺が北から南まで見渡せる場所もあった。こういった展望は貴重であろう。

カヤノキビラノ頭ではまだ時間が早かったので、大洞山まで行ってみることにした。そこで昼休みにしようと思ったが、長い休みにぴったりの雰囲気のいい広い頂上なのにあいにく風の通り道なのか、寒風が落ち葉を巻き上げていた。

そこでカヤノキビラノ頭へ戻って、陽だまりで長い昼休みとした。落葉松の林越しに一段と白くなった富士が眺められた。

帰りは、まったく同じ径を下るのも面白くないと、「中尾根の頭」の標識のあるピークの北側に破線があるので、それを下ってみることにした。最初こそ踏跡らしきものがあったが、尾根が急になるころにはそれも途絶えて、あとは適当に下るのみだった。しかし予定どおり笹子旧街道に出て、それを登り返して笹子隧道へと戻った。

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