八柱山(蓼科・松原湖)

東京横浜名古屋そして地元からひとりと、面白い布陣の参加者での木曜山行となった。最近は荒れた天気が続くが、昨日は少しは安定した天気になるとの予報が出ていた。野辺山を過ぎると行く手の佐久の空は青く、浅間山も見えていた。しかし麦草峠に着くころには青空はなくなっていた。

麦草峠からものの1分で深山の趣である。日ざしがないほうがこの趣は増す。北八つの例にもれず、しっとりと落ち着いた山道だが滑りやすい岩の多い足元はおろそかにはできない。

雨池への林道に出たところでぱらぱらと降りだしたが、雨池に着いたら薄日が射した。たっぷりと水をたたえていて、これは今まででもっとも広い雨池かもしれなかった。ダケカンバの新緑が今しも盛りである。

雨池から八柱山への径は岩もなくなってふかふかの地面となる。麦草峠付近とは微妙に森の雰囲気が変わるのは樹種が変わるせいだろう。林床も笹が多くなる。

八柱山の頂上は明るいけれどもおよそ色気に欠けるところなので、北八つらしい森の中で昼休みとした。昼食を食べ終わるころにはいよいよ本格的な雨の気配である。

八柱山で本降りとなり、大雨の中の下山となった。今までとは打って変わった明るい落葉松林の緑が雨に濡れて美しい。林道に出るころには雨もやんで、八千穂高原まで広い林道をのんびりと歩いた。

荒川源流から金峰山(金峰山)

甲州側9筋、信州側に1筋あったという金峰山への参詣路のうちでも、金峰山そのものを本宮とする甲府御岳町金桜神社から登るのが、その第一であった。ところが今、金峰山の主な4本の登山道のうち、もっとも登山者が少ないのがこの道で、その理由は車で入れる黒平の奥から歩いたとしても相当に長い道のりだからであろう。

木曜山行でこの道を歩こうと計画したのは3度目で、最初は車を配置して北から南へと金峰山を縦断しようとしたときだったが、人数が集まらなかったので他の山に変更した。

次は前年の秋、今回とまったく同じ計画、すなわち大弛峠への車道の途中から荒川源流へ下り、御室小屋から頂上を目指すという、言わば核心部だけをつまみ食いしようとする計画を立てて出かけたが、前日の大雨で大弛峠への車道が通行止で、現地まで行きながら小楢山へと変更せざるを得なかった。

そして3度目の正直のこの日、天気予報は曇りで、現地へ向かう車窓からも甲府盆地を囲む山々の展望はほとんど得られなかった。皆、雨さえ降らねば良しというくらいの気分だったので、大弛峠への車道の、ここから金峰山から見え出すというカーブをまわったとき五丈岩がお出ましになったときには歓声があがった。

荒川源流を渡るところは、飛び石伝いでは危なっかしいので、靴を脱いでの渡渉となった。浅瀬に細いロープが張ってあったが、帰ってから調べたら、その下には丸木橋があったらしい。とっくに流れ去ったあとだったのだ。

私にとっては20年ぶりの御室小屋はすっかり屋根も落ちて、もはや雨露をしのぐこともできない。甲府市の管理だと聞いたが、再建されることもないだろう。

御室小屋から一気呵成の登りが始まる。トサカの岩場から五丈岩は近く見えるがまだ600mを残している。片手廻しを過ぎて2300mの岩場で再び展望が開け、振り返ると富士が雲の上に頭を出していた。

2400mでほぼ森林限界を越え、五丈岩に向かっての爽快な登りとなるのだが、急登の連続で登っている間は爽快とも言いがたい。そんな印象は喉元過ぎてから感じることかもしれない。

長老おふたりはこの急登の連続に、さらにまたこれを下る意気が完全に消沈、帰りは大弛峠へと向かうことになり、パーティをふたつに分けることになった。

ともあれ、頂上からは瑞牆山も八ヶ岳も眺められ、昨今の天気からすれば望外の上出来で、予報の悪さが幸いしてほとんど人影もない静かな金峰山であった。

往復組が車に戻って、縦走隊と大弛峠で合流するころになって雨が降り出したのだから、まさしく大団円と言わねばならなかった。金峰山はいい山である。


棧敷山・小棧敷山(嬬恋田代)

木曜山行では夏前後にはほとんど信州方面へ出かける。暑がりの私の好みだからで、車で相当に高いところまで行ける山ばかりを選んできた。しかしそんな山も枯渇してきて、そこでと目をつけたのが浅間連山であった。少々遠すぎるかと思っていたのだったが、行ってみるとそうでもない。しかしそれらのほとんども登頂し、ついに最後まで残ったのが桟敷山小桟敷山だった。もうこれらは信州境を越えて群馬県の山である。

午後から最近の例によってやはり天気が不安定になるだろうとの予報に、朝早い出発とした。棧敷山は軽いハイキング程度の山だが、とにかく群馬県の山にまで行くのだからそれだけで時間がかかる。

佐久平からは山々は望めなかったが、雲は薄い感じである。前日には三沢から飯盛山へと中央分水嶺を歩いた面々に地元の4人が加わってほとんど車は満員状態で、地藏峠への急坂を時速30キロであえぎながら登った。奈良原あたりで案の定雲の上に出た。上空に青空が拡がったとまではいかないが、予報からすれば上々である。

登山道がなければ取り付く島のないような傾斜の強い斜面ばかりの山である。その登山道がうまくつけてあって、苦もなく頂上へ達したが、岩ゴロもなく地面の状態もすばらしい。実に面白い枝ぶりの落葉松が多く、これはこの山の特徴だと思った。

傾斜がゆるくなると頂上の一角の平だった。つまりこのあたりが火口であったのだろう。頂上から展望は期待していなかったが、北から東へと眺めが開けた。休憩後に小棧敷山へと往路を戻ったときには浅間山も全容を現していた。地形図にない急坂で小棧敷山との鞍部へと下ったが、急降下ではあるものの地面がすこぶる柔らかく、これなら膝への負担も少ない。暗い林はしっとり落ち着いた雰囲気で、少し北八ツを彷彿とさせるが、シラビソの林ではない。

鞍部付近はシャクナゲの森で、花期にはすばらしいことだろう。林の雰囲気がどんどんと変わるのが面白い。150mを登り返して小棧敷山でちょうどお昼となった。小広い笹原の中央が刈ってあって、ちょうど我々の人数が休むに好適だった。どこの山でも鹿に食べられてすっかり珍しくなったヤナギランが多く、花が咲けば見事だろう。小棧敷山からの下りで数人のパーティに出会ったが、山中で出会ったのはその人たちだけだった。地藏峠には何台もバスが停まっていたことを思うと、こちらの静けさはありがたい。

下りはあっという間であった。最後はいかにも高原歩きといった公園の歩道を歩き、駐車場に戻った。


ゼブラ山〜ダケカンバの丘(霧ヶ峰)

梅雨明け最初の木曜山行となった。梅雨が明けたと同時に猛暑がやってきたので、納涼登山と銘打った昨日の計画はちょうどよかったのだが、ゼブラ山の北側からの登山口は標高1300mあまりなので少々低い。しかし登山口で車を降りたら空気がひんやりとして、やはり山の北麓は涼しい。

かつてゼブラ山は八島湿原から登ったとしても、釜池付近にある、わかりにくい分岐に道標がなく、そこからはほとんど人に会わずに歩けたものだが、そこに道標ができ、外周コースも人に知られてきたこともあって、場合によっては学校の集団登山にまで出くわすようになった。

人気の山でもコースを選んでなるたけ人けを避けて登ろうというのが木曜山行の方針だが、ゼブラ山に北麓から登ろうというのも、その方針に沿って数年前に開発?し、すっかり気に入ったのであった。

ゼブラ山は景色が素晴らしいが、もしカンカン照りだったら、木陰のない山頂ではのんびりとはしていられない。そこで昼休みはダケカンバの丘で過ごすつもりで計画をたてた。ここなら景色がいいうえに2本のすばらしいダケカンバの木陰があって、しかもまず誰も来ることがない。

ゼブラ山の北尾根には地図にはない作業道や林道がたくさんあって惑わされるが、読図が確かならさほど難しいわけではない。ところが今の地形図には北尾根の東側の沢に沿ってゼブラ山の頂上に至る「男女倉越」と書かれた破線が入っていて、なまじ読図をしてこれをたどろうとするとひどい目にあう。この破線の下部は林道だが、上部には径はない。「男女倉越」というのも間違いで、本当の「男女倉越」は男女倉集落から本沢に沿って登り、八島湿原の西端に出る。

それはさておき、夏は踏跡が草に埋もれて難しいところもある。ゼブラ山の最後の登りは藪漕ぎならぬ花漕ぎである。花を漕いで登った頂上からは一気に霧ヶ峰の大草原の緑が目前に広がる。こんな演出もこのコースの美点であろう。

そして美しいダケカンバの丘で長い昼休みとなった。霧ヶ峰広しといえども、こんなにいい場所はあまりあるまい。展望、雰囲気、ともにすばらしい。

ここからの下りは夏には踏跡が消えるので難しい。しかし広い森を彷徨うように歩くのもまた楽しい。このあたりの森は出色の良さで、今まで夏と冬にしか来たことがないが、こんどは秋に歩いてみるのもいいかと思った。

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