笹山(鹿塩)

延齢草が初めてだったのはふたりだけで、あとは2度目以上、勝手知ったる宿というわけである。地元というよりは自分の家でつくっている食材をふんだんに使った、奥さんの手料理はとにかくおいしい。ご主人の佐藤さんも宴に加わって、おそくまで話は尽きなかった。

明けて昨日の朝は、これ以上ない秋の好天となった。これまた豪華な朝食をしこたま腹に入れて山に出発する。2日目は曇りなら鳥倉山、晴天なら笹山とだいたい決めてあったので、迷うことなく笹山に出発。台風の雨で黒川牧場内の道がどうなっているか心配ではあったが、それは行ってみて考えることにする。去年に引き続き佐藤さんも同行してくれることになったので安心である。万が一通行止めなら牧場内の道は歩いて歩けない距離でもない。

しかしそれも杞憂で道は開いていた。そのうえガードレールまでできていて不安はかなり少なくなった。それにしてもこんなに登ってしまっていいものかというところまで車が登ってしまう。樹林のない牧場内だから、車窓からだけでもちょっと他にはない大展望である。中央アルプスがすばらしい。

駐車場から適当に登って尾根筋に出ると、わずかばかりだが踏跡がある。ところどころで雪の白根三山がぐっと近く見える。その展望もさることながら森の雰囲気がなんともいえない。

いくつかの小さなピークを越すと、文字通り笹に覆われた笹山に着く。頂上からわずかに南に寄ると、塩見岳から聖岳にかけて、南アルプスの南半分が重畳と連なって遠ざかるのが眺められる。

佐藤さん差し入れの赤ワインをあけて、山々に向かって乾杯、長い昼休みとなった。

これまでの大鹿村山行史上最高の天気に恵まれた。

釈迦ヶ岳(河口湖西部) 

1日順延しただけのことがあった釈迦ヶ岳となった。展望の山で展望がないのは寂しいが、その心配はまったくなかった。前日の雨は高山では雪でいよいよ冬姿である。

この春先の木曜山行で鳥坂峠から釈迦ヶ岳の手前まで歩いたので、それを東へ延ばして朱線をつなげようというのが今回の計画であった。

芦川渓谷は今しも紅葉の盛りである。径の落ち葉もまだ色を残しているので視界がすべて錦に染まる。主稜線に出るころにはさすがに木々もほとんど葉を落としていたが、こんどは展望を楽しむことができた。

久しぶりの釈迦ヶ岳頂上はなにやら人工物が増えて目障りな感じもする。それだけ登山者が増えたという証左であろう。たしかに、これだけ楽に登れて大展望が楽しめる山はそうはない。

短い行程なので頂上で展望をたっぷりと楽しむことができた。富士もさることながら、この山は甲府盆地をめぐる山々の絶好の展望台といえよう。

私が山歩きを再開したのがこの山だった。もう四半世紀前である。そのとき、この頂上から眺めた山のほとんどを知らなかったのが、今はそのほとんどの頂上や尾根に思い出がある。ありがたい甲州の山々である。

男山(御所平・信濃中島)

佐久方面に向かうときには必ず目にする山だから、そんなにご無沙汰しているつもりはなかったのだが、調べてみると登るのは7年ぶりで、ということは、木曜山行に愛知のN姉妹が参加して以来ということになる。そのときのことはこの掲示板に以下のように書いた。

男山に北側から達する破線は2本あるが、その北側のものに入るつもりだったのを、南側のをそれと思い込んで歩き始めたのがそもそもの間違いだった。その入口には「男山」への道標があって、つい引き込まれたのである。途中、いくつか同じ道標があるが、わかりにくい分岐にはないのが不思議。「長野県遭難対策なんとやら」と書かれた立派な道標であるが、これではお粗末なことで、かえって遭難を増やしかねない。

とにかく、入山した場所が違っているのだから、地図を開くたびに、なんとなく変な感じがするのは当然だったが、疑うこともせずに、高いところに行きゃなんとかなるとぐいぐいと登る。やっと間違いに決定的に気づいたのは、標高1700m近くで明らかに東西に延びる尾根に乗ったときだった。そんな尾根は男山から西に延びる尾根しかない。そこで初めて、入口が違っていたことに気づいたのである。

さて、と思う。男山西尾根は、頂上に立った人にはわかるが、頂上直下は完全な岩場で、まず直登不能である。あれを何とか巻いて登ることができるのだろうか。行けるところまで行って、駄目なら諦めるつもりで登る。何せ、今回は珍しくも、愛知県からやってきたうら若いN姉妹が2人参加、しかも妹さんはほとんど山登りは初めてだという。身長170センチの美人姉妹はおそろしく足が長くて、まるでモデルのようだ。雑誌の取材ではあるまいし、そんなふたりがこんな藪の中を登っているのはほとんど前代未聞であろう。

案の定突き当たった大岩壁を横へ横へとトラバースして、登れそうな斜面を見つけて這い登る。ほとんど南側まで回り込んだことになる。このうえに絶壁でも現れるなら諦めるしかなかったが、簡単な岩場を詰めると頂上に飛び出した。歓声があがる。若い女性がふたり妙なところから現れたので、頂上にひとりいたおじさんが驚いている。


今回、当初の予定では立原高原から登るつもりだったが、この径は天狗山西側直下に出るので、それなら男山に登るためにはちょっと遠回りである。そこで、7年前のルートを検証しつつ登ることにして、帰りはそもそもその時に登るつもりだった、男山の東から北への破線を降ることにして出かけた。これで周遊コースがとれる。

今季最高の冷え込みで、それだけに空は晴れ渡っていた。7年前の道標は立派に残っていて、そこから霜柱を踏んで歩く。7年前ともなれば記憶はあいまいだが、やがて記憶にある地形を登るようになった。このころにはすでに径形はない。したがって、例の道標がいったいどこをどう登らせようとしているのかは結局不明であった。整備のないままなら撤去すべき道標であろう。

適当に登って西尾根に乗った。前回、ルートがもともと違っていたと気づいた尾根である。前回同様、岩に突き当たったところから南へとトラバース、ところどころ人の手が入っているような部分があるのは岩登りで男山に登る人もあるからだろう。しかしそれも稀だと思う。

前回、たまたま上に抜けられたのは僥倖にすぎなかった。今回は無理をせず、一般道に出るまでトラバースを続けたが、その途中からは上に載せた、男山の岩壁と八ヶ岳が一緒に入った写真を撮ることもできた。

一般道に出てからはひと登りで頂上であった。ほぼ同時についたふたり連れがいるだけの静かな山頂だった。眺めはすごかった。ことに北側180度の山々はくっきりと雪化粧を見せた。はるかに遠いのはおそらく男体山であろう。

馬越峠からやってきたというふたり連れが下ったあとは我々だけの山頂となった。奥秩父方面は育った松の木が少々邪魔をするが、それ以外、これだけの展望が得られる山頂はちょっとあるまい。その展望を楽しみながら長い滞在となった。

下りのルートには、かつては「さわらくぼから広瀬へ」の道標もあったのだが、すでに朽ちて久しいらしい。適当なところから下り始めたが正解だったようで、途中、いくつかの古い道標を見た。まあしかし廃道ということになろう。踏跡というほどの踏跡はない。もっとも悪場はないので下山路としてはいいと思う。

簡単に登れるのにわざわざ厄介なところを登るという、久々の木曜山行らしい登山であった。


三方分山〜パノラマ台 (精進・市川大門)

御坂山地の声価を高らしめているのは富士山の展望だから、まったく富士の見えないような日なら画竜点睛を欠くどころの話ではないのだが、晴天続きで、八ヶ岳を出発するときからもう富士はすっきりくっきりと行く手にあった。

富士がむしろ大きく見えるのは離れて眺めるときで、精進湖畔からは物理的に大きく見えてはいても雲でもなければ間が抜けて見える。富士の写真を見ればわかるが、これは素晴らしいと思える写真はすべて雲の造形の面白さである。

なべて近くからの富士は愚鈍で、崇高さに欠ける気がする。しかしこれも富士を見すぎた者のたわごとではあろう。

ほぼ6年ぶりの三方分山であった。登山口の旧中道往還が石畳風に舗装されていたのが目新しい。

最近はどの山に再訪しても、こんなに急だったか、こんなに距離があったか、と思うようになったが、ことに今回は三方分山からパノラマ台までを遠く感じた。もっとも、これは三方分山ではまだ時間が早かったのでパノラマ台まで昼休みをしなかったこともあろう。

それにしても奥御坂稜線の樹林の良さは出色で、春秋の盛りにこそ歩きたいものだが、しかし葉の落ちきった季節、枝越しに富士と白峰を振り分けに見ながら歩く気分のなんという良さだろう。

それまで行き会う人は数人だったのに、昼過ぎに着いたパノラマ台にはさすがに人が多かった。富士の大観は当たり前として、しかし私が興味のあるのは東へと連なる御坂山地で、山々の重なり具合がいい。

久しぶりの大勢のいる場所での昼休みであった。たいていは長居は無用となるのだが、さすがにそこまではひねくれていない。大勢にまじって大観を楽しんだのであった。

前から思っていたことだが、精進湖からパノラマ台に達する歩道はすばらしい径で、これを歩くだけでも価値があると思う。

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