剣ヶ峰(蓼科・松原湖)

前半最終回はおとみ山とふたりきりであった。山は前々回に角間山に変えてしまった剣ヶ峰を復活させた。早めに帰って打ち上げだから、時間のかからないこの山はちょうどよい。2000mを越える高さも夏向きである。

朝方はけっこうな雨脚だったが、麦草峠に登るにつれて晴れ間も出てきた。麦草峠や白駒池の駐車場にはバスが何台もやってきて、大勢がどこかへ出発するらしい。我々は自転車をデポして八千穂高原へ下る。

まずスキー場の中を登るが、眺めはよいもののさすがに暑い。針葉樹の森に入ると日ざしもさえぎられて涼風も吹いていた。ふかふかの地面は歩きやすい。しばしの急登をこなすと、もう剣ヶ峰の一角である。

じっとしていると涼しすぎるくらいの風が吹いていたが、おかげで雲が動いて、茶臼山から三ツ岳までが全部頭を出した。信濃路自然歩道と名前のついた整備された歩道を歩いているというのに、結局誰にも会わなかった。

さて、午後のイベントが控えているのでさっさと下ることにする。といっても自転車を停めたところまでたったの5分、つまり下りはないに等しい。

風呂に入ってから地元へ戻って打ち上げ、山には行かなかったが、大介さんとFさんが仲間入りしてにぎやかに前半の終了を祝った。


前三ツ頭から十二山(笹ー)尾根下降 (八ヶ岳東部・八ヶ岳西部・小淵沢)

10年近く前に権現岳の帰りにこの尾根を下ってみたのが初めてだったが、その後木曜山行でも一度下ったことがある。しかしそのときにはまだこれが材木尾根だと思い込んでいた。前三ツ頭から南下するのは十二山尾根で、笹ー尾根というのはその別称である。

実際の材木尾根にはその後何度も足を運んだ。今ではもし権現岳から下るとしても一般コースを天女山に下る気にはなれない。登るのは大変だが下るには最高の尾根である。こちらはある程度の経験があればさほど難しくない。

一方の十二山尾根は、それを高川の左岸尾根だとするなら、末端まで下るのはなかなか厄介で、油断していると真南に延びる尾根をたどってしまうことになるだろう。もっとも、その方が安全かもしれないが。ただ、尾根に入るのは前三ツ頭の頂上から南に下るだけなのだから材木尾根よりはるかにわかりやすい。いずれにせよ、小海線開通前にはれっきとした登山道が通じていたというが、今では途中にある字が読めなくなった道標や古い石碑や祠にそれを偲ぶのみで、踏跡はほぼ皆無に近い。

最高の天気になったが、何しろ暑いのと、夏バテのせいか、私は前三ツ頭へたどり着くのがやっとといった感じだった。まあそれでも前三ツ頭で涼風に吹かれているとなんとか体力も回復した。

あとは下るだけだが、径はないので楽ではない。まだ樹木草本が旺盛な季節だから見通しもきかない。笹原に隠れた倒木や岩を足でまさぐるようにして避けながら下っていく。ところどころにある、木の生えない砂礫地は火山特有のものだが、不思議なことに八ヶ岳ではこの笹ー尾根と材木尾根に顕著なだけである。そんな場所では展望もいいし、下りもはかどる。しかしこれを登るとなったら大変であろう。

尾根の分岐を少し行き過ぎて戻る羽目になったが、そこで頭蓋骨付きの鹿の角を発見して怪我の功名となった。つい先日、日向山で拾ったのを落としてしまったばかりだったが、その倍はある立派なものである。山歩大介さんが持ち帰ることにした。

下るうちに西に寄りすぎたらしい。いつしか三味線滝の上流に下りてしまった。もっとも、最初に来たときも同様だったのであたりの地形に見覚えがある。それはそれで甘露甘露とうまい水にありつけたのである。

三味線滝は下れないので高巻くことになるが、思案するほどのこともなくケモノ道が滝の右岸へと導いてくれた。あらかじめ車を三味線滝の下部にデポしておいたから、これも怪我の功名で近道できたことになったのだった。

四阿山(四阿山)

台風一過の好天には久しく出会ったことはなかったように思うが、今回の台風ばかりは大快晴をもたらした。去って3日目でも雲ひとつない空というのだから驚かされる。

ちょうどふた月ぶりの菅平であった。7月に根子岳に登ったときに次は四阿山に登ろうと決めたのが今回の木曜山行になった。夜明けとともに出発する。小諸から上田あたりではいったん雲の下になったが、菅平に着くころには雲海の上に出た。菅平牧場の駐車場で、すでに北アルプスから妙高の山々まですべて指呼のうちにあった。なんともさわやかな晩夏の高原風情である。

今回は山田哲郎さんと大森久雄さんが参加することになった。山田さんはこの8月で84歳になったというが、それでも四阿山に登ろうという元気さには驚かされる。大森さんとてもう大台なのではないだろうか。一番楽な菅平牧場からとはいえ、ほかのコースと比較してのはなしで、気軽に登れる標高差でもない。往復行程だから駄目なら途中で終わりにして待っているということだったが、おふたりとも見事登頂を果たしたのだから快挙といっていいだろう。

しかし、登るにつれて拡がる展望、しかも陽が高くなるにつれむしろはっきりしていく山々の姿に疲れは吹き飛んでしまったのは確かだ。4時間かけてたどり着いた頂上は想像していたより狭かった。ここで初めて四阿山に隠されていた方面、志賀や上越国境方面の山々が視界に入った。とにかく見えるべき山はすべて見える。

20人くらいが頂上にいただろうか。それだけでも座る場所はそんなに残っていなかったのだから、好天の週末ともなればこぼれ落ちんばかりであろう。しかし人気があるのももっともだと登ってみてよくわかった。私にとっては、日本百名山に新たに登ったのは木曾駒以来10年ぶりであった。

八ヶ岳横断歩道(御神楽岩展望台)(八ヶ岳東部・八ヶ岳西部・谷戸・小淵沢)

金曜に順延した木曜山行は好天が約束された。しかし都合がついたのが、もう何度も二ツ塚には登ったおとみ山だけで、それならロッジから往復250キロもある二ツ塚に遠征することもない。

金曜なら参加したいという名古屋のNさんも、二ツ塚となれば名古屋を深夜のうちに出発しなければならないが、ロッジから近くの山なら早朝に出れば間に合う。

そんなわけで、計画を変更して、このところ毎日のように調査している八ヶ岳横断歩道の残った部分を歩くことにした。参加のおふたりから快諾を得たおかげで、調査は昨日でほぼ終了した。

我が家の裏山とあって出発は朝9時。5度くらいまで冷え込んだ朝、それだけにおそろしいほどの好天である。下山予定地点に1台車を置き、天女山から出発した。目標は御神楽尾根の展望台である。

山頂を目標としない実に気軽な山歩きだが、細かい上り下りはけっこうあるから絞られる場面もある。時間にしばられることもないので、ひんぱんに休む。きのこを採りながらあまりにのんびり歩きすぎて、昼頃には展望台に着けると思っていたのがちょっと遅くなってしまった。

しかし腹が減ったのを我慢して登っただけのことはある展望台だった。昭和9年に出版された平賀文男の『八ヶ岳火山群』によると、この展望台となっている岩場が御神楽岩である。この岩の名前をとって御神楽尾根という名前もついたのであろう。

天女山から観音平間には4箇所展望台があるが、そのいずれもがコースからはずれて立ち寄らなければならない。しかも2箇所は木が伸びて展望はすでにない。しかしこの御神楽岩だけはこれからも木が伸びて展望を妨げることはなさそうである。コースからはずれて150m近くも登らなければならないのは大変ではあるが、それ以上の価値はあると思う。

我々3人は大展望を独占して、1時間以上もここでのんびりと過ごしたのであった。帰りは御神楽尾根を南下して八ヶ岳高原ラインに出たが、この下降路がまた白眉で、錦秋にまた来なければなるまいと決意をあらたにした。

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