西向山麓新年会(若神子)

新年最初の木曜山行を山中で新年会も兼ねてするようになって5年目である。当初はそこそこ歩きはしたものの、だんだん山のほうは添え物になって、せいぜい30分も歩けば済む場所を選んで宴会主体となってきた。新年早々ガツガツと山登りをしようという年齢の方々など誰もいないのでそれもよかろうと思う。

それでも山中か登り口に神社があるところを選んで新年の参拝を行動に含めるのはせめてもの罪滅ぼしというわけである。今年の目的地は去年の1月、西向に登ったときに偶然見つけた場所で、登り口に神社があるのも好都合、簡単に行けるわりには秘境の雰囲気もある。何より、まず誰も来ることはなさそうな場所である。

今年は最初の木曜が3日ということで、常連の皆さんも都合がつかず、ちょっと寂しくなるかと思われたが、年末よりお泊りの泉さんと國見さんが、これに参加してから帰ることになり、それに急きょ日野春アルプ美術館の館長さんも加わって、一気ににぎやかになった。

今年の目的地は池まである広い凹地で、地図を眺めれば別に秘境でもなんでもないが、凹地だけあって、ちょっと隔絶された感じのするところである。

そこにブルーシートを広げて飲んだり食ったりしゃべったり、楽しい2時間を過ごした。

興因寺山〜淡雪山〜中峠(甲府北部)

まだ富士五湖地方に住んでいたころ、一足早く春を味わおうと、4月ともなれば甲府の北山を歩いたことがよくあった。

興因寺山もそうして94年の春に初めて登った山で、そのときは山の南斜面一帯が伐採後まもなくで、おそろしく眺めが良かったうえにちょうどタラの木が育ったころで、山歩きの途中でしばらくタラの芽狩りに精を出した。

そのころ山菜採りに熱中していた私は、これはぜひとも来年も来なければと思って、実際その翌年には100本収穫した。そんなに採ったことは、今回久しぶりに昔の記録を見るまではすっかり忘れていた。

それから20年近くもたった今では樹林が育ち、稜線上からの眺めを隠すようになり、タラの木も絶えてしまった。

もっとも、だからといってこの山域の小粋な味は失われたわけでもなく、『山梨県の山』にも私好みの山として載せることにしたのであった。改訂版を出すときに山を入れ替える必要があってやむを得ず落とすことになったが、ガイドブックからなくなって静山派にとってはかえって良かったのかもしれない。

久しぶりに訪れた興因寺山の頂上には「武蔵野市山岳連盟創立五十五周年」と彫られた立派な山名標が立っていた。武蔵野市内というわけでもない、何の関係もない山域にまでこの調子で山名標を建てているのだろうか。本来こんな物は山頂に不要であるが、まあ、世の中にはいろいろの趣味の人がいるから、百歩譲って小さな山名標をそっと置くならまだしも、堂々と自己主張するとは図々しい。55周年だろうが100周年だろうがこの山に登ってきたほとんどすべての人にとってまったく関係のないことだ。

淡雪山で昼休みをするうちには雲に隠れていた北岳も現れた。甲府盆地を真下に見下ろして気分はいい。

当初は金子(きんす)峠から下ろうと思っていたが、それではあまり簡単で面白くないかと、西へふたつピークを越えた中峠から下ることにした。

かつてガイドブックに金子峠から中峠間はいっぱしの藪山で、「経験者の同行が望ましい」と書いたが、それは変わっていなかった。

三体の馬頭観音が残る中峠から南に下る峠道は、武田の杜遊歩道と交差するまでは問題ない径だが、その下は廃道に近い。しかし径形を探しながら下れば塚原町の里道に出るまではわずかな間であった。

身延山(身延)

久しぶりの大雪に予定を変更して近所でスノーシューで遊ぼうかとも考えたが、妙案も浮かばなかったので結局予定通り身延山である。

何回も身延山には登ったが、これまでは登りには三光堂経由のいわばメインルートしか使ったことはなかったので、普通は下山に使われることの多い、高座石経由のルートを登ろうというのがこの計画の主眼であった。地図上でもわかるように、標高差は変わらないものの距離はこちらのほうが長い。

宿坊街を登山姿で歩く我々に後ろから声をかける人がいた。山には40センチもの積雪があるからと心配して声をかけてくれたのだが、そのあたりでは全くといっていいほど雪は消えており、家の前にうずたかく雪の積もった場所からやってきた我々には、この上にそんなに雪があるとも思えなかった。

高座石の裏手から北へと登っていく径は今では地図から破線も消えているが、久遠寺から七面山へ向かう最短路としてかつてはにぎわったことだろう。何百年前からここにあったのだろうかというような杉の大木が径沿いに何本もあるのが、往時の重要な参道であったことを偲ばせる。今、これを登って赤沢宿へ下る人など年に数えるほどであろう。

標高600mを越えたあたりで突然雪が深くなった。感井坊へは最後わりと長い林道歩きがある。関係者が見回りに来たのか1台分の轍があって、歩きづらいながらもそれをたどればツボ足歩行の苦労もなかったが、轍は千本杉までだった。その後は里で言われた40センチというのもあながち大げさでもないような積雪で、斜面の急なところでは雪崩も起きて道を埋めている。足跡ひとつないのは気持ちがいいが、それも最初のうちだけで、やがてうんざりする。

頂上で昼食とできるだろうと思っていたのはとんでもない楽観論で、結局感井坊にたどり着いたところで12時半をまわっていた。軒先を借りて昼休みとした。

感井坊から頂上までは車道歩きだが、それもすっかり雪に埋もれ、吹き溜まりでは膝上のラッセルとなった。コースタイムの倍近くの時間をかけてやっと思親閣に到着、結局、休みを入れて5時間近くもかかった登山になった。苦労はしたが、途中誰にも会わなかったし、頂上でもロープウェイで登ってきた数人がいたのみで、この上なく静かな身延山を楽しめたのは何よりであった。

下りはたったの7分。あっけないが、なんともありがたいロープウェイではあった。

源次郎岳(大菩薩峠)

嵯峨塩からの登山道入口の雪の上には足跡はなかった。あの大雪が降って以来、もう10日もの間、ここから源次郎岳に登った人はいないらしい。

心配していた雪の量はさほどでもなく、快適に高度を上げていった。朝方は少々白かった空も真っ青に変わった。絶好の雪山ハイキング日和である。

林道に出ると多くの足跡があった。その少し向こうの伐採地から富士の展望がいいので、どうもそれを狙うカメラマンが林道を歩いてくるようだ。

林道を横切って源次郎岳への径に入ると、また足跡はなくなった。稜線の東側は一面の落葉松だが、西側には自然林が残っており、径がそちら側にさしかかると雪と青空と冬枯れの林の配剤の妙にうっとりとする。

下日川峠への分岐のあるピークがこの日の最高点である。源次郎岳へはここからやせ尾根の急下降で、それまでのようにのんびり歩いてはいられない。雪の下の地面が凍りついているのでアイゼンをつける。表面が腐りかけた雪なのでアイゼンの雪だんごを落としながら慎重に進んだ。

最後の急登を終えて、さあ頂上だと行く手を見るとやけに明るい雪面が見える。源次郎岳の頂上は眺めはないが落ち着いた感じのする小広い林だったはずだがと不思議に思ったが、やけに明るく感じたのもそのはず、驚いたことに頂上一帯がすっかり伐採されていたのである。

伐採された木が周囲に積み上げられたままなので少々殺伐とした感じもする。周りに伐採されたところもないのだからあらたな植林のためでもなさそうだ。展望を良くするためにこれだけの木を切ったのだろうか。しかし展望のためというなら富士や南アルプス方面は隠されているのだから切り方がおかしいような気もする。いかに山梨百名山だろうが、この山が大賑わいすることもそうはないようにも思う。そこに予算をかけて展望だけのために伐採をするものだろうか。どうにも腑に落ちない伐採であった。

ともあれ無風快晴、おまけに展望まであって、これは長い昼休みとしようと昼食をとりはじめたら、下から8人パーティが登ってきた。鬢櫛川からキリガ尾根通しに登ってきたという。これはなかなかのご苦労な行程である。標高差もさることながら、ことに源次郎岳の最後の登りは険しいので積雪期に登るのはかなりの力量があってこそである。20分の休憩と時間を区切って食事をし、さっさと嵯峨塩へと登っていったのも、いかにもビシッと登るパーティらしい。

一方、やれやれあとは来た径を戻るだけと、これ以上なく弛緩し切った我々には時間を区切って休むことなどありえない。静かになった頂上にその後も居座り、四方山話にうつつを抜かし、やれ赤岳の雲が取れたのだの、やれ金峰の五丈岩が見えたのだのと騒ぎながら長い時間を過ごしたのであった。

2013年の計画に戻る  トップページに戻る