二児山(鹿塩)

大鹿村2日目の山は去年に引き続き鳥倉山にしようと思っていたが、佐藤さんから二児山に簡単に登れると聞いて心変わりした。簡単というので心が揺れるとは情けないが、限られた時間であれば仕方がない。佐藤さんも仕事を休んで案内してくれるという。問題は午後から崩れるという予報だったが、直前になってそれも変わってきた。

二児山は、名前の元となった双耳峰の山容でどこからでも目立つ山だが、おいそれと登れる山ではなかったのは昔の話となったらしい。最近、黒川牧場の中の道を整備して砂利道ながら一般車も登れるようになり、2000mを越えるところまで歩かずに行けてしまうようになったという。

二児山が2242mなのだから、もうこうなれば散歩のようなものである。黒川牧場に至るまでの道路はほぼ全舗装、現在最後の舗装工事中だったが、日本の土木技術はとにかく凄い。牧場までの道も山道の運転に慣れない人には相当な苦労だろうが、牧場内の砂利道にいたっては、こんなところを誰でも運転しちゃっていいのかしらといった感じである。ともあれ、2000m以上までマイカーで登れるところは日本中探しても数えるほどだろうと思う。

二児山東西の峰の鞍部まで車が通れる幅の道が通じており、それをたどれば目をつぶっていても歩けるくらいである。そこは佐藤さんの配慮で行きがけは尾根筋を歩くことにした。多すぎる赤テープが無粋だが、それでも原生の森はすばらしい。こんな場所をインスタントで歩いていていいのかしらんと思わないでもないが、ま、この際深く考えるのはよしましょう。

二児山東峰の頂上は伐採されて眺めがよい。西峰は展望のない頂上だが、少し南へ下ったところに岩場があって伊那谷が広く見渡せた。

帰りは稜線直下につけられた車道跡を歩いたが、こんな散歩道はめったにないのは間違いないと思った。


御弟子〜蛾ヶ岳〜折門(市川大門)

予報は好天を約束しているというのに、参加者はTさんだけで、2人だけならちょっと径探しをしながら周回コースを歩いてみるのも面白いと思っていたら、前夜になってOさんが初参加することになった。最初から変なところを歩かせてもと思って、予定どおり御弟子(みでし)から蛾ヶ岳の往復とした。もっとも、御弟子から蛾ヶ岳に登ろうとする人もほとんどいないだろう。

過去2度歩いたことがあるのに油断し、出発してまもなく径を失い、Oさんは早くも藪の洗礼を受ける破目となった。しかしまもなく正規のルートに合流、あとは何百年も歩かれた径である。今、年に何人がこの径を歩くだろうか。ほとんどの木々は葉を落としているが、カエデだけがまださまざまな色の葉を残しており、晩秋とはいえなかなか鮮やかである。

大平山から蛾ヶ岳の間は山梨県屈指ともいえる美しい尾根道で、一般的な四尾連湖からの蛾ヶ岳登山ではこれを味わうことはできない。ほぼミズナラが占める、尾根の両側の木々の枝越しに、かたや甲府盆地周辺の山々を、かたや富士山や御坂の山々を見ながら歩く気分は何ともいえない。

頂上ではこの山から見える山々のほぼすべてをくっきりと眺めることができた。双眼鏡でのぞくと、遠く北アルプスも白い峰々を雲の中にもたげていた。

四尾連湖の紅葉もまだ残っているだろうから、平日とはいえ多くの人がいるのではと思った頂上には結局我々以外に4人がいただけで、それならと少々昼には早かったが腰を落ち着けて1時間あまりも昼休みをした。

帰りがけには折門の廃村を訪ねた。これは径探しが難しいが、首尾よくたどり着くことができた。なかば朽ちている家が多いとはいえ、まだ廃村になって30年とあれば生活の生々しさは残っている。こういった光景を眺めると、人の営みについてさまざまな思いが去来し、それはとても一言では言い尽くせない。

折門から御弟子へと峠を越えて戻る。その径は折門の子供の通学路でもある。廃屋の中にころがっていた小学生用のノートは、私とほぼ同い年の人が使ったものであることが記された年からわかった。私が小学生だったときには、折門の小学生もこの径を毎日通っていたのである。御弟子の学校跡には、去年にはなかった、そこに学校のあったことを示す立派な石碑がたっていた。


独鈷山(武石)

前夜から雨音が続いていたが、予報どおり朝方には青空が拡がっていた。しかしそれも甲府盆地側で、これから向かう北方向には雪雲がまだ垂れ込めていた。雲間にのぞく八ヶ岳や南アルプスの山肌は白くなって、この秋初めてのまとまった積雪らしい。独鈷山に行くのに越えていく大門峠あたりの積雪が気になったが、たまたま少々おそい出発としたのが幸いして、大門峠の北側もほぼ雪は融けていた。

独鈷山に登るのは4年ぶりだが、先回工事中だった登山口あたりの車道がきれいに出来上がっていた。御屋敷沢沿いの車道を少したどると駐車スペースもあった。

御屋敷沢が枯れると山腹の急登になるが、これは気軽な里山歩きとはいえない径である。滑落事故多数発生との貼紙がいくつもあったが、たしかにあまり下りたくない径である。急なうえにか細く、落ちたらただではすまない。こちら側から登って塩田平へ下るのが多少は安全のように思う。そのほうが頂上に至って初めて広濶な展望が得られる演出面でもすぐれている。

昨日も頂上で初めて得られた上小(上田小県)の山々の光景や、眼下に広がる塩田平のいかにも平和なたたずまいに歓声を上げた。最近はこのあたりの山にも行くので山座がどうにかわかるようになった。今年登った黒斑山や湯ノ丸山、烏帽子岳を懐かしく眺めた。冬型の気圧配置で、北は白い空、佐久平から南にかけては真っ青な空である。誰もいない頂上で1時間以上も四囲の景色を楽しんだ。

塩田平に下るつもりだったが、人数も少ないのでタクシー代をケチり、往路を慎重に下った。急なだけに勝負は早い。あっという間に登山口に戻った。


高芝山(柳沢峠)

どうも木曜日が悪天の周期に入ってしまったらしく、今週も予報は悪かったが、降っても午後からで、雨量もさほどでもなかろうということで予定通り出発した。

先日下見した行程と同じにするつもりだったが、塩山のFさんが参加してくれることになったので気が変わった。つまり車が2台あるから下見のときと逆コースにできる。登りを少なくして時間を短縮できたのが結果的にはよかった。午後になったとたんに降りだした雨が強くなる前には下山できたのであった。

高芝山に登ろうとする人のほとんどは柳沢峠からの往復だろうが、それとて道標の類があるわけではないから、それなりの地図読みが必要で、結局登る人は少ない。したがってその頂上も余計な物は何もなく実に地味である。三角点もない。よく見なければ気づかないほどの山名標が木に打ち付けてあった。こういった山頂にある余計なものはその都度掃除することにしているが、これはそろそろ朽ち果てそうなのでそのままにしておいた。

三つのピークを持つ山頂部の真ん中だけ富士山側の木が払われていて展望があるが、それもわずかな範囲である。展望への不満はしかし上条峠へ下山することによって一気に解消される。標高差200mに及ぶ防火線からの眺めはすばらしく、滅多に人の訪れがないのがもったいないくらいである。

昨日はあいにくの天気ではあったが、ぎりぎり富士の展望を楽しむことができた。スカッと晴れた日にまた来ようよという話になったが、その場合、急登のこたえる高芝山はもうたくさんだから割愛して、前高芝山(1362峰の仮称)だけにしようということになったのは、けだし賢者の妥協案というべきであろう。

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