丸山晩霞記念館(東御市)

7月の末以来山歩きもしていないので、展覧会がらみでそれも果たそうと思っていたのが、この夏の不順な天気は相変わらずで、つい2日前までは晴天だった予報が前日には1日中雨に変わってしまった。

それならそれで展覧会に目的をしぼってゆっくり出発した。しかし佐久平に着いたらまずまずの天気で、また予報を呪う気分になったが、展覧会場の丸山晩霞記念館に着くころには小雨となった。

肝心の展覧会「山岳に焦がれた男たち」展 は、有名な山岳画家の絵が一堂に会し、絵心のない私にも楽しめるものであった。しかし、以前から思っていることだが、いろいろの人の絵をいっぺんに観るのはけっこう疲れるものだ。

受付をしていた人に日本一おいしいというトンカツ屋があると聞いたのでそこで昼食、なるほど安くてうまかった。国道18号沿いの多喜屋といいます。ついでに近所の海野宿を見学したのち、往路を戻るのもつまらないと、和田宿から諏訪に出て帰ったが、道々どうも水温計が上がりすぎると思っていたのが、諏訪インターから高速に乗ったのがまずかった。エンジンが異音を発し始めた。

それでも運が尽きないのは、すぐそこにPAがあったことで、そこへかろうじてたどり着きレスキューを待つことになった。思えば、去年のちょうど同じころにも、違う車が山中で故障してレスキューを頼んだことがあった。こちらも風邪気味だし、どうやら人も車も夏バテするらしい。


経ヶ岳(伊那・宮ノ越)

経ヶ岳は伊那谷を通るときに必ず目に付く山だから気にはなってはいたのだが、その長大な尾根におそれをなして後回しになっていた。しかし、あまり後回しにしていたら、そのうち登る気も失せてしまう。そこで2300mの標高があればまだ暑い時季に登っても大丈夫だろうと9月初めの木曜山行に計画したのだった。

天気は最高だった。長丁場なので早出とし、少しでも楽をしようとメインルートの仲仙寺より100m高い大泉所ダム登山口を出発したのは7時半だった。

のっけからの急登をこなして4合目でメインルートに合すると、ひたすら長い尾根をたどることになる。樹林帯で直射日光はさえぎられるものの、それでも大汗をかく。8合目で、登っただけの甲斐のある大展望が開けた。しかし、ここで初めて姿を現した山頂はまだ遠い。たかをくくって水分をあまり持っていかなかったのが災いして、最後の登りあたりで足の筋肉が不吉な痙攣をはじめた。

8合目を出ると頂上を含めてさほどの展望は得られないが、それでも枝越しに、ぐっと近くなった御嶽山が眺められた。途中、下山してくる何人かとすれ違ったが、頂上には誰もいなかった。石碑が林立する頂上は樹林の中で、中央アルプス側を切り開いて山が眺められるようにした形跡はあるが、そこにも草が伸びほとんど展望はない。5時間かかってやっとたどり着いたことになる。

昼食を済ませて下り始めたらすぐに足が痙攣し始め、ところどころで休むことになった。この痛みは経験者にしかわからない。1300mも下らなければならないというのに先が思いやられるが、どうにもならない。嵐が過ぎ去るのを待つしかない。足がつることはよくあって、どうもこれは体質と思われるが、久しぶりの大痙攣である。ひと月以上、まともに山歩きをしていなかったのも災いしたのだろう。

そんなこんなで下りにも登りと同じ時間がかかってしまい同行者には迷惑をかけた。長い長い下りだった。もう結構、参ったというのが、出発から10時間後、薄暮の登山口にたどり着いた全員の意見であった。

雨飾山(雨飾山)

『小谷温泉讃歌』は小谷温泉大湯元山田旅館の新館落成記念に出版された本で、そのライターが泉久恵さんである。その泉さんにお供して、豪雪の山田旅館を訪ねたのは去年の2月、久しぶりの泉さんの来館に大歓待にあずかったものだった。

しかし聞きしにまさる雪の量である。スノーシューでちょっと散策でもと思っていたのが、車道ですら雪がかかれていなければおいそれと踏み込めない。早々とアウトドアは諦めて、温泉三昧に切り替えた。

この宿に泊まって雨飾山に登るのもいいだろうとその秋に計画したものの、11月ではすでに時期的に遅すぎたのと、こちらの体調もあって中止にしてしまった。それで今年は9月に計画することにした。紅葉がつとに有名な山域だから10月がいいに決まっているが、人が多いのはとにかく閉口なので9月がよかろうと思ったのである。

しかし参加者はたったのふたりで、ちょっと催行を思案したが、予報を見ると願ってもない好天続きで、あまり好天の期待できない日本海側の山ともなればこの機会を逃すわけにはいかない。参加のおふたりともが9月生まれで、ちょうどいい誕生祝山行ともなるだろう。とにかく天気の計算できる初日に一気に登ってしまい、翌日は観光でもしながらゆっくり帰ってこようという算段とした。

木曜山行始まって以来の早出であった。3時にロッジを出発、途中、朝食で30分休憩しても、6時半には登山口に着いてしまった。休まず走って3時間なら、もっとゆっくり出発できそうだが、スイスイと一般道を走れるのは夜明け前ならではだろう。白馬村では白馬三山が朝もやの中から朝日を浴びた姿を忽然と現し、好天を期待させた。

木道の敷かれた湿地帯から登山は始まる。豪雪地帯の特徴だろうか、植物がどれも大きい気がする。圧巻なのはブナで、太平洋側の山山では、こんなに高く伸びたブナはない。その数もすごく、地表に張り出したブナの根を踏んで急登を続ける。

途中の荒菅沢出合で雨飾山のすばらしい岩壁が目の前になる。しかし驚いたのは大勢の人たちがそこで休憩していたことだった。聞けば48人の団体だという。彼らが出発するまでこちらも休憩する。そんな余裕があるのも、日帰りではないおかげである。

ここからの急登には文字通り汗をしぼられた。とにかく暑く、まるで真夏の山である。笹平へ登りついて一息ついたが、ここからの最後の登りも辛かった。

48人が三角点ピークに群がっているので、私たちはもう一方のピークに陣取る。雲が湧いてきているが、見慣れない四囲の風景に興味は尽きない。日本海の海岸線も近く見おろされる。

笹平で雨飾山をスケッチしたいというSさんは先に下り、私とおとみ山は頂上でなおものんびりした。麓へ泊まるとなれば気分も鷹揚になる。しかし、きつかった登りは下りもきつかった。しかも、もっとも気温の高い時間となって、登り以上の汗をかかされた。

下山の途中でもスケッチに時間を取ったりして、登山口に戻り着いたのは出発から10時間後であった。


大渚山(雨飾山)

山田旅館で通された部屋は先回と同じ部屋だった。木造3階建の2階である。汗を流しに入った温泉は夏場はかなり熱いという。日焼けでほてった肌に痛いかと思ったが、さほどでもなく、普通の湯ではとても入れないだろうという熱さにもかかわらず、肌にやさしい感じがして痛みも感じない。効能をみると特効があるのがやけどとあって、なるほどと思った。宿の数百年という歴史はこのすばらしい泉質あってこそだろうと思った。おとみ山とSさんは5回も入浴したという。この期に及んでますます健康になるのが危惧される。

明けてまたまたの好天である。2日目は山の予定はなかったが、そういうわけにもいかないと、大渚山に登ることにした。これなら1時間半もあれば登れそうだし、何より雨飾山の展望台である。昨日の山をじっくり眺めるのも悪くない。

頂上では、白馬方面は雲の中だったが、それ以外はほぼ全周の山々をほしいままにすることができた。広域図を持っていなかったのは失敗で、パノラマ写真を撮ってあとで調べることにした。

昼には降って、元来た道で帰るのもつまらないと、乙見山峠を越えて笹ヶ峰へ出ることにした。笹ヶ峰は話には聞いていたが、なかなか素晴らしいところで、こんどはこのあたりの山を歩いてみたいと思った。

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