石尊山(長坂上条)

3年前、苗敷山で初詣登山および山上宴会をしてから、木曜山行の新年最初は神社のある山で宴会を兼ねて、と考えるようになった。

今年は石尊山ですることにした。これは去年考えていた山だったが、去年は積雪により、ちょっと遠いが安全な山之神社に変更したのだった。

もとより石尊山という名前の山などなく、石尊神社の裏山だからということで私が勝手に名づけたのである。そこにある四等三角点の点名が石尊神社だから、まあ適当な名前とは言えるだろう。

それにしても急な石段である。今でこそ鉄の手すりがあるが、かつてはそんなものもなかっただろうに、善男善女が詣でるにしても大変だったろうと思う。もっとも、昔はこのぐらいは何とも思わなかったのだろうか。

ともあれ参拝を済ますと、本殿の裏山に向かって踏跡をたどる。踏跡といっても、人というよりは鹿の踏跡である。小尾根に出ると石祠がぽつんぽつんと3基あって、かつての信仰をしのばせる。

石尊山までの尾根は花崗岩砂ですべりやすいうえに、ごく狭くなっている部分もあり、なかなかの険路である。ここに雪がついたら危ないと去年は場所を変更したのであった。

とはいうものの時間は短い。三角点のある石尊山に着くと、さっそく宴の準備が始まった。富士や鳳凰がすっきりと眺められ、甲斐駒も少しだけ頭を出す。枝越しには八ヶ岳が寒々しい。

幸いにも心配していた風もさほどでもなく、日当たりもよく暖かい。2時間近く山上の宴会は続いたが、午後の冷気が北側から背中に忍び寄ってきたのを潮時に撤収することにした。

ほろよい加減では往路を下るのは危ないので、神社入口めがけて林の中を下ったが、これもすこぶる急坂で、半分くらいは酔いもさめたのであった。

金山鉱泉〜金山峠〜セイメイバン(大月)

去年の正月に取材を兼ねて金山鉱泉から雁腹摺山へ登ったのが金山を訪れた最初だった。地形図を見ればわかることとはいいながら、大月駅から車でたった20分で、いったいどこの山奥まで来てしまったかというような風景に驚かされたものだったが、つまりは、この極小の平地しかない谷あいでの駐車場探しが厄介なのが、同じ山梨県でもこのあたりの山と今ひとつ縁が結べない理由であったわけだ。

その折に金山鉱泉山口館と顔がつながって駐車場が確保できたので、それならまたここを起点にどこかへ登ろうと考え、去年の暮れに姥子山を計画したのだったが、これは悪天で計画を変更した。そこで、今年早々にセイメイバンを計画したのである。

もっとも、金山鉱泉を起点にしてのセイメイバンというのは、車で出かけるとなると、そう合理的な道筋ではないが、この際ぜいたくは言ってはおられない。

冷え込みが続き、金山峠への沢沿いの径では、水の飛沫の凍りついた木橋が何度も現れるので、その通過に気をつかわされた。金山峠の最後の急登はなかなか険しく、地質がすべりやすいのでなおさらである。なお、地形図の金山峠の位置は間違っていて、ひとつ西側の鞍部が正しい。すなわち、そこへ至る破線も違っていることになる。

稜線へ出ると実に歩きやすい径となる。冬富士がすばらしいが、あいにく送電鉄塔が邪魔をする。金山峠からわずかでたどり着いた大垈山が今日の最高点である。セイメイバンへはここから約200mの下降だが、傾斜はゆるく、冬枯れの美しい雑木林を楽しみながら下れる。

セイメイバンという変な名前が付いていなければ、誰も足を止めないような尾根の一角である。たまたま三角点があるので、ここがセイメイバンという名の基となった安倍晴明伝説のある山域を代表することになったのであろう。ちなみに三角点名は「奥山」である。地形図から察するに、南東の麓あたりからは立派な山に見えるのかもしれない。いずれ確認してみたいものだ。

三角点に敬意を表したら長居は無用である。帰りはまた大垈山まで登り返すことになるので、少し戻った雰囲気のいい林で昼の大休止とした。聞けばTさんはたまたま今日が古来稀なお誕生日とかで、自ら持参のケーキをいただいてお祝いとなった。あらためておめでとうございます。

再び登った大垈山からは尾根径を金山鉱泉へ帰った。下山してそのまま山口館の風呂に浸かる。入浴後、宿のおかみさんと話しているうち、あれよあれよと5月の新緑をここに宿泊して楽しむことに決まってしまった。

守屋山(辰野)

守屋山にはもう何度も登ったが、いつも杖突峠南の登山口ばかりからで、それは少々食傷気味である。そこで今回、南麓片倉の村人がかつて詣でた径、すなわち守屋神社から東峰奥宮へ通じる参道をたどってみることにしたのであった。

まず守屋神社に参拝をすます。本来は本殿の裏手を登ったのだろうが、その径は踏跡程度だった。そこでいったん下って沢沿いの径を登る。

沢沿いに続く径には雪の上に足跡があったが、尾根道に入るとなくなった。やがて林の中に石鳥居を見いだす。寛保三年の銘がある。およそ270年前である。

雪が降ったあと、この径をたどる人は皆無であったらしい。結局、主稜線に出るまで雪の上に動物以外の足跡はなかった。古くからの径らしく、ごく歩きやすい。ところどころに石碑が残っている。南面の径なので積雪がさほどでもないのは助かった。

東峰から西峰への稜線へ出て、まず西峰へと、今度は立派なトレースをたどる。土の上を歩くより歩きやすい。西峰で眺めを楽しみながら昼飯としたいところだったが、それにはちょっと寒すぎる。ちょうど入れ替わりで単独行者が避難小屋から出て行ったので、ありがたく小屋を使わせてもらって昼のひとときを過ごした。今日は先週のTさんに引き続き、Oさんの古来稀なお誕生日のお祝いである。おめでとうございます。

東峰でもう一度眺めを楽しんだあと、立石ルートを下ったが、奇岩が次々に現れ、飽きない径であった。守屋山は、もっとも一般的な杖突峠からの径が一番面白くないように思った。

小日向山(霧ヶ峰)

計画するときには今後の雪の量がわからないので、今週の木曜山行はスノーシューでとだけにして、山は未定にしておいた。たまたまこのあたりに雪の多い年ならば、わざわざ遠くまで出かけずとも、気のきいた山はいくらでもある。

ところがいっこうに雪は降らない。信州へ乗り込むしかない。そこでゼブラ山なら北側から登れば雪はあるだろうし、何より誰も歩いていない雪に足跡を残せるだろうと考えたのだった。

ところが前夜に雪が降った。量は大したことがないが、朝の道路は非常に危険になった。当然ノロノロ運転になり、現地へ行くのに倍の時間がかかってしまった。これからではゼブラ山は昼までには届かないだろうと思った。たとえスノーシューといえども山に登るのが主目的なので、それでは面白くない。

そこで我が定番の山、小日向山に行き先を変更した。いつものルートでは変化がないので、北側から回り込んで登ることにした。

最初はあった鹿のトレースがやがて山の中に消えると、結構なラッセルとなり、終始スノーシューが威力を発揮した。登るにつれ浅間山から根子岳にかけての山並みが見渡せた。

存分に雪上散歩を楽しんで頂稜に出ると、この時期としてはまずまずの景色が広がった。三角点をさがして登頂とする。

気温が低いのでのんびりと休んでいるわけにもいかない。そそくさと昼を済ますと、南に下る。無雪期なら躊躇するような急な斜面も、雪に助けられて一気に下れる。出発点まであっと言う間についてしまった。

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