三国峠〜十文字峠(居倉)

三国峠ではもう初冬といってよかった。峠の武州側に立つと、目の前の両神山の怪異なシルエットが次第に立体的になり始めていた。1700mを越えているというのに寒くはないのは助かる。梓白岩のすぐ南の岩峰ではこの稜線最高の展望を得ることができた。十文字山の登りにかかると、あたりは針葉樹の深い森になった。倒木はことごとく苔に覆われている。そんな中に小さな広場があったので、車座になって昼休みとした。
八紘嶺(梅ヶ島)

梅ヶ島での1泊山行であったが、初日は雨で山は中止とし、遅い出発にした。大雨で安倍峠が通れず、倍の距離を走ってたどり着いた。気持ちのよい温泉に浸かり、盛大に飲み食いして夜は更けていった。朝起きてびっくり、青空が広がっていた。静岡側は安倍峠まで通行可能だというので八紘嶺に登ることにした。登るにしたがって霧が出て、結局展望は得られなかったが、途中、ブロッケンも見ながら静かな山をワイワイとにぎやかに登った。
十二ヶ岳(河口湖西部)

河口湖でW女史と合流し、登山口の文化洞トンネルに向かった。毛無山から十二ヶ岳までは、くつろいでいるような場所はない。狭い十二ヶ岳の頂上で昼休みとした。富士山はあいにく6合目以下しか見せなかった。桑留尾への下山路は、上部に少々急なところもあるが、あとは穏やかな尾根道となる。途中から、かつての通学路をたどり、文化洞トンネルに戻った。麓から、十二ヶ岳と十一ヶ岳のギャップが実にするどく切れ込んでいるのが見えた。
甘利山(韮崎)

中腹の椹池からのルートは、久しぶりに歩いてみて、かなりか細いものになっていた。広大な甘利山の頂上は、レンゲツツジの頃を思うとウソのように静かである。いったん奥甘利山との鞍部に下り、大笹池への踏跡に入る。たどり着いた大笹池は5年前の同じ時期、透明な水面の下に藻が透けて見え、碧色の池がいかにも神秘的な雰囲気だったのが、どういうわけかその色がなくなっていた。南甘利山への登りをこなすと、あとは歩きやすく雰囲気のいい下山路である。
御正体山(御正体山・都留)

河口湖でW女史と合流して鹿留川池の平の登山口へ着いた。真っ青の快晴だが、山の西側の登山道にようやく日が射し始めるころには、背後に大きく富士がせりあがってきていた。妙心上人のお堂跡は今や礎石が残るのみの小広い平地で、葉の落ちたこの季節ではかなり展望もきく。このあたりから自然林が多くなって、頂稜に出ると圧巻となる。広い頂上には誰もいなかった。皇太子が登山したときに置かれたテーブルに陣取って、ワイワイと楽しんだ。
阿梨山〜帯那山(甲府北部)

阿梨山の三角点までたどり着けば、なかなかいい径が尾根上に帯那山まで通じている。ススキが刈られ、少し広々となった帯那山頂上で昼休みとした。薄日だが風がないので寒くはない。脚気石神社へ下る道はいたってのんきなものだが、一般向きともいえない。途中から古いコンクリート舗装の道になると散乱した岩くずで歩きにくくなる。途中、倒壊した水神様の石祠を修復したりし、ついに最後まで誰ひとりにも会わないまま山歩きを終えた。
御嶽参道を歩く(甲府北部・茅ヶ岳)

草鹿沢の手前に「是より御嶽社参道」の石碑がある。これを起点とした。途中から金桜神社からの道に合流する。俗な羅漢寺山付近は駆け足で通過し、白砂山で昼食とした。自然観察路を歩くのでは面白くないので、尾根伝いに薮をこいでみた。途中からは古道と思える踏跡を歩いた。深く積もった落ち葉を踏んで、冬の山歩きを満喫した。太刀抜きの岩で最後の休憩、午後の甲府盆地と富士山を楽しんだあと獅子平へ下った。
海岸寺山(谷戸)

一般的には海岸寺峠東の1124mの三角点を海岸寺山と呼ぶが、この山の西、海岸寺峠をへだてて隆起する山を海岸寺山とするのが私の考えである。この山を頂点にした馬蹄形の尾根があって、それを一周たどるのなら、軽い薮山歩きとなる。桑原の墓地から尾根に入る。緩やかな尾根を北上して海岸寺比志線の車道へ出、海岸寺峠から海岸寺山に登った。頂稜の西端には石祠がある。納会は近所の予約制の店へ。今年一年の無事を祝って盛り上がった。

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