きり・あかめがしわ

きり(桐・梧桐)は、昔は東京の住宅地でも庭木として植えられていて、よく目にする花だった。

いまは中央線の沿線でも少し山間に入らないと見られなくなったが、それでも5月の車窓からは樹冠を薄紫に染めた桐の大木を時折見ることができる。

  喜多方は 蔵多き町 桐の花
  桐咲けり 冬は孤立の 集落に

これはきりを詠んだ斗城・川崎精雄さんの句だが、会津や越後の方にはまだ多くの桐の木がありそうだ。

このきりの花がきれいな天ぷらになるという。

また、若い実に箸で幾つかの穴をあけて揚げることもできるとは、『食べる薬草事典』(村上光太郎/農文協)に載る料理法だ。

  緑の山を幾つも/幾つも越えてきた/不意に山が切れて/海があった/
  青い海があった/海は白い波を立て/陸には桐の花が/咲いていた
     一九六四年六月 平井賀にて       深田久弥

と、藍で染めたのれんがわが家にある。北国の6月はまだ桐の花の季節のようだ。

きりは葉や樹皮が漢方薬になり、材は軽くて狂いが少ないので、箪笥や琴の台、上物の下駄の台などに使われる。会津の山に行ったときに麓の町で、ざっと形取りした下駄の台を組み合わせ、塔のように積上げ乾燥させているのを見た。山登りをしていなければ、一生東京暮しの私などは、こんな情景を見ることはなかったろうと思った。


あかめがしわ(赤芽柏)は、陽当りのよい山野に自生するというが、意外に都会の街路樹の回りとか人家の間など、街なかでも若い木はよく見かける。ただし陽当りが悪いと枯れてしまうそうで、市街地であまり大きな木を見たことはない。

この木の芽は出たばかりのときは赤い色をしている。そこからきた名なのだが、ゴサイバ(御菜葉)、サイモリバ(菜盛葉)の名があり、昔、その大きな葉を食器としてよく使ったことによるという。

食用にするのは赤い新芽で、茹でて水にさらして炒めものや和えものしたり、生の若葉を天ぷらにする。私は新芽をくるみ和えで食べてみたが、見た目より柔らかくおいしかった。