ならたけ・まつたけ

ならたけ(楢茸)は林の中の地上にも、古い切株や枯木の幹、倒木の上などにも大きな株になって生えることが多い。

わたしかが最初にこの茸を知ったのは、もう50年も昔、奥多摩山岳会の秋の山行で鷹ノ巣山へ登ったときだったと思う。「これはアシナガだ、食べられるよ」と先輩の一人に教えられたのだった。

採って食べたのは、30年数年は前の上州武尊へ登ったとき、登山道の傍らの木の根にでていたならたけが初めてだったと覚えている。

つぎは、奥多摩の蕎麦粒山へいったときで、当時、その東側の尾根は広く伐採され、切り株がずらりと並んでいたが、そこにならたけが群生していた。しかし、それまでに知っていたものとは違って紫がかった濃い茶色の傘で、採って帰ってはみたけれど、半信半疑で食べなかった。

大収穫で、おいしく食べられたのは、さらにその数年後、道志の鳥ノ胸山のほとんど人の通らない藪道で見つけたものだ。古い切株にたくさんのならたけを発見し大喜び、ザックの3分の1ほどを占めるほどを採って山をおりた。

その日は、さらに通りかかった山間の畠で菜っ葉の間引きをしていたおじいさんに「おひたしでも、煮つけでもおいしいよ」と、その青菜を頂戴し、大にこにこで帰ったことをよく覚えている。

最初に書いたアシナガというのは奥多摩周辺での別称で、和名がナラタケだと知ったのは、その少し後である。わたしが茸のことに興味をもって勉強しだしたのは、以下のようなことがあったからだ。

あるときの山行で「食べられるよ」と友人が採った数種類の茸をもらって帰り、夕食においしくご馳走になったのはいいが、それが大当たりで一晩苦しんだ。しかし、中のどの茸にあたったのか分らず、これではいけないと、以後、本気になって茸関連の図鑑や本を集めて調べる面白さも覚えたが、いまだに判らないことが多い。

ならたけは、生える土や樹木が多様なので、その故か色や形に変化が多い。よいだしが出るおいしい茸だが、消化しにくいので、あまりたくさん一度には食べないほうがいいと思う。


まつたけ(松茸)といえば、茸の王様のようにいわれ、まつたけの出る山は、秋は止め山になっていることが多い。登山道があっても、道の両側にビニールひもやテープが張り巡らされ、「無断立入禁止」など警告の札が出ていたりする。荒らされたくない懸命の気持は判らなくはないが、なんとなく気色の悪いものである。

20年ほど前の秋のこと。母の入退院や看護に明け暮れていた。そんな折、寺田政晴さんが「遅い夏休みをとりますから、都合をつけて長野の辺の山へ2,3日行きませんか」と誘ってくれた。それで、なんとか日を繰り合わせて出かけることができた。

最初の日、登山口まで乗ったタクシーの運転手氏が「あの山へ登るなら、降り口のほうが家の持ち山になっている。もうまつたけの出荷シーズンは終わりだが、まだ、出ているかも知れない。見てもいいよ」といってくれた。すると、山頂を越えてしばらく歩いた林のなかで、ほんとうにあったのだ。それも特大の1本を含めて、3本も。長野の街へ出て、その夜はビジネスホテル泊りの予定だが、まつたけは暖かい部屋には置けない。そこで紙袋に入れて、駅のコインロッカーに預けた。

それから2日後、帰る前にロッカーを開けると、周りに気が引けるほどの香りだった。特大の1本をわたし達がもらい、残り中小の2本を寺田さんが持ち帰った。

わが家では、その1本を焼いたり、まつたけご飯に炊いたりと、3日ばかり愉しんだのだが、後日、「寺田さんのほうは、どうしたの」と尋ねると、「虫が出てきたといって、会社に行っている間に女房に捨てられちゃいました」とは、まことに残念な結末だった。

虫なんか、塩水にすこし漬けておけば、なんということもないのに。