ぶなの実・いわたけ

ぶな(山毛欅)の実は、本来は晩秋に拾うものだ。ぶなの木の下に落ちた実を拾う。丸みをもった三角錐形で淡い褐色をしている。歯か爪で外皮をはがして、生で味わってみることもできるが、数日間日陰干しにしてから炒ると香ばしくておいしくなる。寒い日に炬燵で1つ2つとつまんでいると、やめられなくなってしまう。クッキーなどに混ぜたり、飾りのように押しつけて焼いたりしても楽しい。

「この実を箱蒔きして、芽をだしたら双葉のうちに味噌汁の実にすると最高の美味だ」と教えてくださった方があった。しかし、育てば堂々たる大木になって400年も500年も生きるのを、せっかく芽をだしたとたんに食べてしまうのはなんだか恐れ多くて、まだ、試したことはない。

そこで、芽を出す前ならよいのかと聞かれれば、さぁ、なんと答えようか

実が落ちている所ならば、必ずその殻も落ちている。先が4つに割れた2cmほどの花のような形は少々ごついが、また可愛らしくもある。

わたしは、これを数個集めてアクセサリーを作るのを楽しみにしている。殻の底に造花用のしべ(ペップ)を接着してワイヤーをかけ、同じような大きさのヤシャブシやカラマツの実と組み合わせると、コサージュ、あるいはブローチにまとめることができる。


いわたけ(岩茸)は茸の字がついているが、きのこではない。地衣類の仲間で、山の稜線上の岩場などに自生している。山が晴天で乾燥しているときは、からからで薄く硬い。うっかり触ると粉々に欠けてしまいかねない。大きさは径5から6cm、色は褐色を帯びた黒だが、雨や霧で湿ると柔らかくなって表面が淡緑灰色や灰色、灰褐色になるものもある。裏側には黒い短い毛が密生している。

特に味があるというものではないが、舌ざわりが独特だし、採れる場所が限られているゆえに、昔から珍重されてきた。

実際、いわたけを採りにいって命を落とした人が何人もあるくらいだから、その魅力は大きいのだろう。でも、時と場合によっては、山を歩きながらなんの苦労もなく拾えてしまうこともある。

原全教著『奥秩父』の1章「塩川と千曲川」のなかの「コブ岩(瑞牆山)と小川山」には「英国へ輸出する珍味岩茸の産地として一役買ったときもあった」と書かれているが、英国人はどのようにして、これを味わったのであろうか。

また、その続きには「松平とカンマンボロン」という項があるが、そのカンマンボロンとは大日如来を表す梵字だという。垂直に切り立った岩に、それは水の浸食によるものだろうが、一見、梵字のようにも見える深い彫り込みがある。そこへはロッジ山旅の長沢さんに案内してもらったことがあるが、原さんは、その辺りが「岩茸採りの桧舞台である。綱を使って百五十尋、即ち七百五十尺も下った人がある」と書いている。

いわたけは、茹でて柔らかくなったのを冷水にとり、よくもみ洗いするとつるつるして表面が光るようになる。しかし、裏側は見た目も感触もまったく違う。こちらを見て「古タオルのきれっぱしみたい」といった人がいた。あまり食欲をそそるような形容ではないが、当たらずといえども遠からず。

洗ったものを適宜に切って、甘酢和え、白和えにするか、きゅうりもみに混ぜるかするのがわたしの料理法だが、スープに入れるという人もある。