やぶれがさ・ぜんまい

やぶれがさ(破傘)は、その芽出しの姿を見れば、だれでもすぐに判る格好をしている。見方によればマンガの一つ目一本足のお化傘のようだが、実物を見れば大きくてもせいぜい10cmほどの濃緑の上に白銀の綿毛をまとった、かわいらしいものだ。

この傘が開いてしまわないうちに採取しないと、堅くなってしまう。群生していることが多いから、気づきさえすれば、汁の身ほどは簡単に採ることができるだろう。

人によっては、あまり味を評価しないが、くせがなく、それなりの春の野性味を感じることができる。浸しもの、ごま和えなどでもおいしい。

先日、秋山川から桂川へ峠越えで歩いたおりに、峠下の南斜面で一斉にかおを出したやぶれがさの一群を見つけて、その晩の食卓に、この春初めての一皿を味わうことができた。


ぜんまい(薇〈薇の字を当てるのは誤りだと、牧野富太郎博士はいっている〉)は、乾して保存できるので古くから救荒食物として用いられてきたらしい。山菜としては口に入るまでに手間のかかるものだ。多くの人は袋詰の水煮を買って料理するのではないだろうか。

自生しているぜんまいは、近郊の低い山でも見ることができるが、大量に収穫するのは大変だ。残雪の沢沿いなどに多いので、会津や越後の山での雪どけの頃、「ぜんまい採りの衆は、三本爪の金かんじきでヤマヤが怖がるような所へよく入りこむよ」と、30年ほど前に聞いたおぼえがある。背中全体が袋になったちゃんちゃんこを着て、その袋へ採ったぜんまいをぱんぱんに詰めて、おりてくるのだという。
  
採取したぜんまいは、綿毛を取り除いて、灰汁を入れた大鍋でゆでる。ゆであがったぜんまいは庭先や道端に敷いたむしろに広げ、なま乾きになると、今度は両掌でむしろに押しつけるように転がしながらもむのだ。おばあさんが、むしろに座って日がな一日ぜんまいもみをしている姿もよく見かけた。
 
ほんの少量、自分で採ってきたぜんまいを作ってみたことがあるが、細いぜんまいは乾燥するとほとんど黒い針金に見えるほどになってしまう。

乾燥ぜんまいは、水につけて沸騰寸前まで加熱して、さまし、水を替えてこれを二度くり返すと、太く柔らかく戻すことができる。それを煮物などにして、やっと味わうことができるのだ。

話はちがうが、若い人はゼンマイ仕掛けのおもちゃなど見たことがないだろうし、毎日ねじを巻く柱時計など知らないだろうが、わたしが子供のころは、自動車などの動くおもちゃのほとんどがゼンマイを動力にしていた。だから、植物のぜんまいより先に撥条のゼンマイを知っていた。

ぜんまいの名は、銭巻で、昔の鉄銭の丸い形に見立ててつけられたと、『牧野植物図鑑』にある。そして、ばねのゼンマイは、その細い鋼鉄板をくるくる巻いた形が植物のぜんまいの芽の形に似ているので、そう呼ばれたらしい。