やぶつばき・こおにゆり

やぶつばき(薮椿)は、奥多摩や奥武蔵、伊豆、房総の低山でよく出合う木だ。花はまだ寒さの残る早春から咲きはじめ、暗い樹林帯の暖かい彩りになっている。その葉は、ほどよい大きさで濃緑のつやつやした照りが美しく、硬質で疵つきにくいため、昔から和菓子、和食のあしらいに使われてきたようだ。

わたしが子どもの頃には、節分やひな祭などのおりに、道明寺粉で小豆あんを包み、つばきの葉で上下を挟んで蒸した「つばき餅」を母親がよく作ってくれた。ひな祭には、食紅でうす桃色に染めたものを作り、それがとても楽しみだった。

先日、料理雑誌を見ていたら、「椿ずし」というのが載っていて、小振りににぎったすし飯を「つばき餅」と同じようにつばきの葉で挟んであった。その横に百合根の1片ずつを5枚の花弁に見立てて作ったつばきの花と、本物の葉だけの枝が形よく添えられていた。

やぶつばきの花は、山宿の夕食の精進揚げのなかにその1輪があって、うすい衣を通して見る赤い花弁がなかなか美しかったのが印象に残っているが、味については確かな記憶はない。


こおにゆり(小鬼百合)は、夏の奥秩父の雁峠、雁坂峠、雲取山の周辺や大菩薩嶺のあたりで、オレンジ色の優美な花をよく見かけて名を覚えたのだが、花のよく似たクルマユリとは葉のつき方がちがうので見分けることができる。

このコオニユリなどの鱗茎が百合根で、百も重なっているように見えるので、百合と書いてゆりになったという説を聞いたことがある。

百合根はヤマユリ、オニユリ、ヒメユリも食用になるが、コオニユリのものが色も白く苦味が少ないので、好んで食べられるという。

『木の一族』佐伯一麦著(新潮文庫)という小説に、梅の咲くころ、東北の故郷近くで独り暮しの小さな部屋に引越しをすませた主人公の男が、手伝ってくれた幼なじみの友人と立寄った居酒屋で、ビールのつまみに出たのが百合根の梅肉和えだった。そこで彼は、小学5年の夏、バスで1時間もかかる山中に、この友人と2人だけでヤマユリの百合根を採りに行った時を思いだす。手斧で夢中で掘っている最中に相手が蝮に咬まれ、彼はいわれるままにその脚の肉を手斧で無我夢中でえぐり、あふれる血を吸っては吐いたが、その夜、友人が死んでしまうのではないかという恐怖で眠れなかった。翌日、何事もなかったように元気な友人の姿を見て、心底ほっとしながら、畏敬の念にとらわれたということが書かれている。

百合根は外側の鱗片をはがして使い、中心部の1/3ほどを残して土に埋めておくと、芽を出して育ち花を咲かせる。わたしもそうして幾夏か、家の庭でコオニユリの花を眺めることができた。