くり・ぎんなん

夕方に、ほのかな金木犀の香りがただよう頃になると、そろそろ、くりの季節だなと思う。くり(栗)は各地に名品があるが、山に自生している山栗の実もなかなかおいしい。

長年山歩きをつづける間には、川崎精雄さんのお供をした奥武蔵の越上山の下り道で、大粒のくりを拾ったとか、山形の甑岳の麓近くにたくさん落ちていたなどと、いろいろな山と一緒に思いだす。

今年は、軽井沢の山荘住いの友人から「サルやリスと争うようにして拾いました」という手紙を添えて、虫気のひとつもない丸々と太った粒よりのくりを、送って戴いたのが最初だった。

さっそく、秋になると毎年食べたいなと思う、くり入りのちらしずしを作った。つぎの日は、混じりけなしの栗御飯を炊いて、これも大満足の秋を味わうことができた。


ぎんなんは、イチョウの実。イチョウは古生代末から現代まで生き残った植物だといわれるが、ずっと古い時代に中国からもたらされたので「中国名の鴨脚子(葉の形を鴨[家鴨]の趾に見立てた)の北方音ヤーチャオから来たという説……、もう一つの銀杏もまた中国名で、これもやはり中国北方のギンアンからの転訛だという」(『日本の樹木』辻井達一・中公新書)とあって、たしかに山の中には見かけないが、山麓の神社や寺の境内などには古い大木が多く存在する。街路樹としてもよく植えられている。そして、その実は日本料理の秋の味覚、彩りとして、古くから使われているにもかかわらず、食材の収穫を目的に栽培されるようになったのは、割合近年のことだという。イチョウには雌雄があるので、雌株の下には秋になるとよく実が落ちている。ただし、この果肉は臭いし、触れるとかぶれるので、やっかいだ。

集めた実を、土にうめるか、水に漬けて果肉を除き、きれいにすると、銀光を帯びた灰白色の殻が現われ、お店でも売っている、いわゆるぎんなんになる。

イチョウの美しい黄色の葉が散りはじめるのは、実が落ちたあとになる。

昨秋登った石老山の山麓にある顕鏡寺の境内には、「ギンナンの皮は捨てないで、そのまま持ち帰って下さい」と、はり紙がしてあった。