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日本山岳会の月報に書いたものです。最初に書いたものは表現に不適切な部分があるというので、書き換えました。不適切な部分というのはつまり「雪隠」という言葉らしい。僕自身はそれをまったく不適切だとも失礼だとも思っていないので、後に最初に書いたものも載せておきます。

    『山がくれた百のよろこび』
 山と溪谷社編


各界の著名人137人がそれぞれの山への想いを綴った本。 

歓喜はそれ以前の苦労や鬱屈、また哀しみの大きさに比例する。だから、どこかで見たような健康第一主義の題名の付け方で「よろこび」だけを強調されるといかにも照れくさい。執筆者の中には「よろこび」でくくられてはかなわないと思っている方々もいることだろうと思う。

名の知られた人たちの執筆によるとはいえ、この手の本の常として、中には玉もあれば石もある。 

山の話の基本は苦労話、すなわち自慢話である。どこそこへ登ったこと、どこそこで死にそこなったこと、などなど。普通なら石でしかない身の上話も文章に才能や技術があれば磨かれて玉になることがある。この本の中にもある。それだけでもこの本を買う価値はある。ここで私の思うそれらを挙げるのは書評ならぬ図書紹介の場ではルール違反だろう。各人がそれを吟味するのも楽しみのうちだ。

文庫サイズだと山への車中やテントでの無聊を紛らわすのにはもってこいなのだが、携行するには大き過ぎるのが残念だ。岳人の枕頭に置いて、夜中に目が覚めたときにでも拾い読みするには最適である。
 
2004年4月 山と溪谷社
 447n 1800円




山と溪谷社編   『山がくれた百のよろこび』

「百のよろこび」というのに、帯には137人が綴るとある。ならば37人は嘆き悲しんでいるのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。ともあれ、どこかで見たような昨今はやりの題名の付け方で、いかにも照れくさい。執筆者の中には「よろこび」でくくられてはかなわないと思っている方々もいることだろう。

歓喜はそれ以前の苦労とか鬱屈の大きさに比例する。話として面白いのはむしろそちらで、この本でも多くの執筆者がそこに重きを置いている。いずれにせよ、山への想いは各人各様で広範囲だから、このような本が出来上がるし、読者の興味もひくのだろう。

名の知られた人たちの執筆によるとはいえ、お徳用セットのようなこの手の本の常として、中には玉もあれば石もある。それを吟味するのも楽しみのうちだ。文庫サイズだと山への車中やテントでの無聊を紛らわすのにはもってこいなのだが、携行するには大き過ぎる。岳人の雪隠の本棚や、山好きの医者のいる病院の待合室などにとても似合う本である。

2004年4月 山と溪谷社
 447n 1800円

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