この時は、今のシャトレーゼスキー場から筑波大学演習林内に通じる車道を伝い、さらに演習林歩道で倉骨に登ったあと槍へと縦走したのだった。記憶はおぼろだが、撮った写真の順番から察するとどうもそうらしい。なお、演習林内は無断で入ってはいけないらしいが、そんなことは知らずに当時は勝手に入っていた。
 
さて、下の写真が飯盛山の東、十文字峠付近から見た、横尾山へと続く稜線である。槍と倉骨の位置ははご覧のとおりである。


このあたりの山名は、1992年版のアルペンガイド『奥多摩・奥秩父・大菩薩』に載る地図では以下である。


ところが、同じく2000年版では以下で、三ノ沢ノ頭→木賊ノ頭、樽山→槍、二ツ山峠→三ッ沢ノ大ダル、観音山→三ッ沢ノ頭(丸山)と、まるで名称が変っている。
 

現在流通している山名は2000年度版にあるほうで、1992年版の山名の出典についてはわからない。なお「木賊ノ頭」がすなわち「倉骨(クラボネ)」で、演習林内にあった案内図にもそう書かれていたし、小林経雄さんの『甲斐の山山』(新ハイキング社)には両方記載されている。今では木賊ノ頭が一般的である(もっとも、一般的というほど人が登る山ではないが)。

この山は北麓南牧村方面から見ると割ととがって見えるので、今では「〇〇槍ヶ岳」なる呼称があると聞いたが、〇〇の部分は忘れてしまった。 ことほどさように今の「槍」よりは「木賊ノ頭」のほうが「槍」という名称にふさわしく、このあたりの山名もいつしか入れ替わっている可能性はある。が、いずれにせよ「槍」とは大げさで、語源は別にあるのかもしれない。

木賊ノ頭は稜線から少し離れているので、ただ縦走するだけでは頂上は巻いてしまう。頂上そのものは樹木のせいで展望はあまりないが、西にわずかに下ったところからは八ヶ岳の大展望が楽しめる(下の写真)。