26. 遠見山、国師岳天狗尾根、朝日岳      2003(平成15)年9月16〜18日

奥秩父の核心部に位置する国師岳2592bは、かつては行きにくい山だった。東京のわが家からだと、どうしてもその山頂に立つのが2日目になる。それが大弛峠を車道が越すようになると、峠から山頂までは、ほんの1時間足らず。奥秩父のうちでも最も労せずして登れる山になった。無人の大弛小屋で寒い思いをしていた頃、誰がここまで車でやってこられるなんて想像しただろうか。山頂手前には夢の庭園などという回遊の遊歩道も作られた。しかし、国師岳の南側に派出される石楠花新道の尾根、さらには天狗尾根をたどる人は、今もそうはいないのではないだろうか。車であがった大弛峠から金峰山往復、国師岳往復のイージー登山とはわけが違うのである。そこで、この二つの尾根のいいとこどりを楽しもうではないかと、寺田君が車を出してくれて、大森久雄さん、泉久恵さんに、こちら二人の〆て5人。初日に石楠花新道の尾根を乗っ越す白桧平2154bまで車をあげた。ここにテントを張り、翌日は登りに石楠花新道、下りに天狗尾根を使って国師岳に行ってこようという案である。

初日16日は午後も早く白桧平に着いたので、おまけとして南の尾根上にある遠見山(大丸戸、2234b)に行ってみた。この山はこの21年前の1982年の暮れに柳平の鳥居峠荘から登っている(参考)。川崎精雄、望月達夫、山田哲郎、大森久雄さんとこちら二人、笹の密生する中の途切れがちな踏跡を足探りにたどって、堪能した山だった。しかし、今回のように逆方向から行ってみればあっけないくらいに登れて、前回は感激の頂上もつまらない木立の中の一点だった。写真をご覧いただきたい。それに、前はこんな標識もなかったのである。

明けて17日、よいお天気に恵まれて予定通り石楠花新道の尾根を奥千丈岳、北奥千丈岳を経て国師岳に登った。その山頂にしろ、かつての山深い雰囲気はなく、やはり「昔はよかった」の一言。休むことなく、わずか東に進むと林の中に天狗尾根への踏跡を見つけて、「これでよいのだね」。この尾根には、途中、岩場があって、そこには山岳信仰の跡が見られる。天狗尾根というからには天狗様を祀るそれかも知れず、鉄剣が立てられていた。この辺りの岩は目の粗いヤスリのようで、泉さんはズボンのお尻に大穴をあけ、お家の鍵をなくして一騒動。皆で小1時間も探したが、結局見つからなかった。この尾根をくだると白桧平からなお京ノ沢へ続く車道に出るが、これをたどりテントを張った白桧平へ戻るまでが、嫌になるほど長かった。テント場について相談するに「昨日の夜は寒かった。今夜は柳平まで下って、若月さんの鳥居峠荘の庭先にテントを張らしてもらおうではないか」と衆議一決。これが車の便利なところだ。鳥居峠荘で若月さんに頼むと、なにもテントに泊まることはないと奥座敷を貸してくれた。さらに、これが車のよいところで、寺田、大森のご両人は下の集落まで、今夜の飲み代まで買いに行ったのだから念がいっている。残った3人は美味このうえないカレーを作った。

三日目の18日。朝早く大弛峠へ車で駆け上がって、皆さんは金峰山往復。こちら二人は朝日岳までとした。楽をきめこんだ大弛峠から往復などとは安直過ぎる。木暮理太郎さんが「何処へ放り出しても百貫の貫禄を具えた山の中の山」と称えた山なのだから、もう少し真っ当な登り方をしないと申し訳ないではないか。しかし、今日、大弛峠から安直に金峰山や国師岳に行く人に木暮理太郎を尋ねたにしろ、その大方が「それ、誰れ?」に違いない。 

補記 

1.写真の人物は朝日岳に立って金峰山を眺める寺田君。この時、彼は55才、3年後には早くも彼岸へ渡ってしまうなんて、当人はもちろん、誰が想像しただろうか。

2.泉さんは帰宅後、予備の鍵を預けておいた友人に電話をしたところ、留守で連絡が取れずに家へ入ることができず、途方にくれたと聞いている。         (2018.10)
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