20. 茂来山      1994(平成6)年11月27日

寺田政晴君同道の二日間。朝早い中央線小海線を乗り継いで羽黒下駅が9時30分。タクシーで霧久保沢の登山口へ着いた頃から天気が急変した。車窓の大快晴はどこへやら。歩きだして1時間もすると小雪さえ舞ってきて、山頂は五里霧中の真っ只中。しかし、この風が天空に穴を開けてくれるかもしれないと、待つこと約1時間半。と、ちっぽけな青空が見えたとたん、一天俄かに掻き晴れて浅間山の稜線まで見えてきた。「待った甲斐があった」と2時間ばかり山頂で過ごした。

この茂来山、私は二度目(当項/モノクロ、その1「四方原山・茂来山」)になるが、今回来てみると山頂にはヤンゴトナキオカタの登山記念碑ができていた。ご本人は決してこんなものを作ってもらう気はないだろうに余計なことをするものだと慨嘆した。神社も一つあれば充分ではないか。山とは、そういうものなのです。南会津の荒海山山頂の「大河の一滴ここより生る 阿賀野川水源之碑 田島町長なんのなにがし」という碑にもうんざりだし、安達太良山の「八紘一宇」、甲武信岳の「日本百名山」など、なければこれに越したものはないものが、ほかにも一杯ある。(長沢註)

なお、この日は羽黒下に戻って、駅近くの光盛館という商人宿に泊まった。裏の川原から見れば3階、道路に面しては2階のこの宿、忍者屋敷そのもので、トイレや風呂場にいったら、おいそれとは戻れないくらいに部屋と廊下が阿弥陀籤そのものだし、襖を開ければ踊り場がなくて、即、階段という恐ろしさ。しかし、老夫婦の親切さはとびっきりで、食事もこの料金ではと、こちらが二度三度頭を下げてお礼をいうくらいのものであった。あれから約四半世紀、もう、このお二人も、今はおいでならないに違いないし、旅館も廃業してしまったのではないだろうか。

補記

1.この翌日は中込駅まで小海線、そこから荒船不動下までタクシー。星尾峠をへて荒船山の京塚山へ登ったが、峠の案内板で不動黒滝へ続く道があると知り、京塚山を往復してから、これを歩いてみようということになった。途中、毛無岩、トヤ山、黒滝山などの岩峰を屹立されるこの尾根には、かつて相当のお金をかけて整備したと思われる道が通じていたが、この時にもすで何箇所か危なっかしい山抜けがあった。今日、打田^一さん執筆の登山地図帳『西上州 妙義山・荒船山』をみると、毛無山やトヤ山には個別には登れるようになっているが、主尾根のいたるところに「崩壊」と記してあり、星尾峠から黒滝不動までを通して歩くことはできないようだ。この時、私たちは星尾峠から黒滝不動まで9.6`と示す道を約5時間かかった。そこで、「もう、これ以上はご免だ」ということになり、お不動様の社務所で電話を借り下仁田からタクシーを呼び、上信電鉄、高崎線(寺田君はここから八高線)、山手線、中央線を乗り継いで帰った。

2.このところの文章では、つい「昔はよかった」調が多くなったようで気が引けます。お読みの皆さまも、「またか」とわずらわしくお思いではないでしょうか。どうか、そんなところは読み飛ばし、登場の方々のお若い頃のお姿に目をとめていただければ、幸い、これに過ぎるものはありません。今ももちろんですがですが、15年前、20年前ともなれば、皆様、オーラ充分のうっとりするくらいのものでした。   (2018.9)
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