18. 八ヶ岳横断歩道、三峰山      2008(平成20)年8月4、5日

ロッジ山旅に泊まっての山歩き。中村爽、岩村久雄の二君(6.霧ヶ峰 南の耳、北の耳に既出)に加え、今回はこれも学生の頃からの友人、斜山三吉が加わった。初日は八ヶ岳横断歩道の一端を歩き、翌日は天望荘から三峰山を往復した。Wお家のお掃除屋さんWが一休みしているようなのが斜山で、横断歩道での1枚。

補記 

1.学生時代、中村と二人でこの斜山を渋谷駅ハチ公前で待ち合わせて映画『アラスカ珍道中』を見ようという日、彼が現れたのを見て「ボップ・ホープが来た来た」。「なんだと、タイロン・パワーが来たといってくれ」。残念ながら、この可笑しさを解ってくださるのは、もう、私たちの世代で終わりであろう。彼がタイロン・パワーかどうかは、この写真(参考)でご判断願いたい。

ところで、彼は小学6年生で新潟に疎開している間に、昭和20(1945)年3月10日の東京下町の大空襲で母親と妹が行方不明になるという気の毒な目にあっている。ただし、後年は幸せそのもの。家作持ちの一人娘と所帯を持ったのをきっかけに早々と勤めをやめると、「競馬の新聞を買いに行くのが唯一の日課だ」というけっこうな身になった。羨ましいの一言である。しかし、「競馬でいい思いをしたのはたったの一度だけ。あとは、お前、かすりもしないよ」。そこで山歩きに転向して、彼とはずいぶん山に行くようになった。寺田政晴君とも何度か一緒に行っていて、そのたびに寺田君は「斜山さんはいい人だ、いい人だ」といっていた。私は格別そうとも思わないが、寺田君がそういうならば、斜山はいい人なんだろう。寺田君が亡くなったとき、彼はとても悲しんだ。 

ついでに、もう一話。ずいぶん前になるが、やはり中村、斜山、私の三人でキャバレー(と云っても、まぁ、二流どころだが)へいったことがあった。面白おかしく遊んで、さて、腰を上げようというときになって、斜山が私を指してホステス嬢に云うには「こいつはマルビなんだから」。そうには違いないが、なにもこんなところで云わなくてもよいだろう。失礼極まりない。しかし、料金はワリカンで支払わされた。ちなみに、マルビとは、丸の中に貧乏のビの字を書く。なお、ここで彼の写真を、もう一度見てみれば、やはりWお家のお掃除屋さんWそのもので、あまりお金があるような、すなわち丸に金の字のマルキンのような容姿風体でもないと思う。皆さま、いかがなものでしょうか。さらに斜山の詳しくを知りたい方は『山の本』93年秋号「登ろう雲取、一等三角点の山」をご覧いただきたい。 

2. 都内一等地の貸しビル業の資産家に 税務署の監査が入ってはと、この斜山に限っては仮名にしておいた。おい、斜山、この配慮、恩にきろよ。
   
(2018.9)
                                    横山厚夫さんのページトップへ   
 ロッジ山旅トップへ