10. 茅ヶ岳   1995(平成7)年2月26日

ビデオ版『深田久弥の日本百名山』全20巻(企画・製作・発行=山と溪谷社/映像提供=NHK)は売れに売れたらしい。仄聞するところによると、これで山と溪谷社では時ならぬボーナスが出たという。私にも、その大菩薩と雲取山の取材に同行してくれないかとの話があって、1994年の5月13〜17日までの5日間付き合うことになった。泊まりは大菩薩は介山荘、雲取山は三条の湯と雲取山荘2泊、ご苦労賃は3万円を頂戴した。これが高いか安いかは、皆様のご判断に任せよう。それはそれとして、この茅ヶ岳登山は深田久弥さんの終焉の地を詣でるという、NHK放映の「日本百名山」のダメ押し的番組の撮影が目的だった。参加は深田さんのご長男森太郎さんと山村正光さんが本命で、私はあらずもがなの付けたり。あいにくの小雪が舞うような寒い日だったが、山頂では山村さんが暖かい鍋料理をしつらえてくれてありがたかった。
 
補記 

1. 深田久弥さんが1971年3月21日に茅ヶ岳で急逝したとき、山村さんは同行の一人として大活躍をした。山から跳んでおりて急を知らせ、また救急隊と現場に登り返すなどして、「甲府に山村あり」と広く名を知られるようになった。その翌年の4月、深田さんの奥様志げ子夫人が森太郎さん一家と茅ヶ岳に追悼登山をなさった時、山村さん、近藤信行さん一家のほかに横山の二人も誘ってくださった。この時から私は山村さんと親しくなり、山にも何回かご一緒するようになった。山村さんは1927年生れの2005年没。亡くなって今年で13年になるが、今も、そのユニークな人柄が懐かしい。きわどい話をなさるくせに敬虔なクリスチャンだったとは、聞いてびっくりした。著書には大ベストセラー『車窓の山旅 中央線から見える山』(実業之日本社/1984。後に「じっぴコンパクト文庫」)のほかに『山梨県の山』(山と溪谷社/1993)、『中央本線各駅登山』(山と溪谷社/1994)、『富士を眺める山歩き』(毎日新聞社/2001)、共著には『甲斐の山旅・甲州百山』(実業之日本社/1989)がある。(山村さんの本をアマゾンで検索) 山村正光さんを偲ぶ会
 
2. 山村さんは一時期、立川の朝日カルチャーセンターで登山教室の講師を務め、生徒のオバサン連には絶大な人気があったという。古希を迎えたのを記念して『山雷の古稀』という冊子が生徒さんたちによって編まれたのも、その証拠であろう。なお、戦争中は旧日本陸軍の幹部候補生として航空教育隊に所属し、機上通信に携わっていた由。あの恰好いい新司令部偵察機に乗ったことがあると聞いて、私は山村さんをいっそう尊敬するようになった。 (2018.8)
 
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