73. 赤岩峠越え      
        1986(昭和61)年3月17日

秩父にお住まいの柿原謙一さんと歩いた西上州2日の山旅。初日は頼母沢の集落から札立峠、破風山などあちこち歩いてから神流川の谷へ入り、万場の今井屋旅館に泊まった。そして、その翌日がこの赤岩峠越え。神流川の支流野栗沢をつめて峠にあがり、くだりは日窒鉱山をへて中津川の谷へという、すなわち群馬県から埼玉県へ越す峠越えだった。



上 野栗沢のつめは一面雪に覆われていた。当時でも、もう、こんな道を歩く人はいないとみえ、路肩が崩れている所も何個所かあって、思ったよりはずっと時間がかかった。

中 万場からは神流川を上流へと走るバスに乗って野栗沢出合の八幡で下車。以下は野栗、野栗沢、胡桃平の集落をへて峠越えの細道が始まるまで1時間半ほどの車道歩き。行く手に見えるのは赤岩岳続きの険しい岩尾根だろう。

下 峠に立ったのは午後の1時半。柿原さんも「やっと峠に登りついたか」というお顔だった。20分ばかり休んだあとは下り一方で日窒素鉱山へ。鉱山の事務所で電話を借りて秩父鉄道終点の三峰口からタクシーを呼んだ。なお、当時でも日窒鉱山は細々と採掘を続けているだけになり、最盛期は学校や映画館もあったという賑わいは何処へやら、山の斜面に雛壇のように並ぶ社宅も大半が無人になって、まるでゴーストタウンのようだった。 

(2015.5)

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