71. 大蔵高丸    
        1983(昭和58)年6月5日

昭和9(1934)年というと、もう、ずいぶん昔のことになるが、その年の5月のよく晴れた日の早朝午前3時半、中央線初鹿野駅(現・甲斐大和駅)に降りたった山支度の7人がいた。と、それは河田楨さんをリーダーとして大蔵高丸を目指す人たちであって、尾崎喜八さんもその中の1人。

今、岩波文庫『山の絵本』収録の「大蔵高丸・大谷ヶ丸」を読めば、その折の詳細がいわゆる尾崎調で縷々述べられていて、なかなかの美文である。歩き出しの、まだ夜の明けないなか、「世界は陰沈と眠っている。一行七人、われわれもまた黙々と進む。この静寂をやぶるもの、ただ時折石を蹴ってかつぜんと鳴る鋲靴の音」なんていうところも、世の尾崎ファンにとってはこたえられない描写であろう。

大蔵高丸の山頂にたっては、「私にとっての懐かしい「山の星(ステラ・モンチス)」である八ヶ岳の右手には金峰・国師の一連がその長鯨の背を上げていた。山頂に打った揚音符のような金峰山の五丈石から嶺線づたいに、一本力強い銀線を塗りこめているのは、毎年晩くまで残るあの雪である。それから右へは甲武信、破風、雁坂へとつづく一群が大鵬の翼をひろげて北方の空を領略しているが、忽ち沸き起こる中景の大菩薩連嶺に妨げられて、雁坂以東の山々は見えない。……」

あぁ、いいですねぇ。私たち二人が登ったこの日も、こんな好いお天気の、爽やかな日でしたよ。そして、かつての河田さんや尾崎さんと同じように大蔵沢から大蔵高丸に登り、大谷ヶ丸をへて曲り沢峠から日川の谷にくだり初鹿野駅へと歩いた。

(2015.5)

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