50.高ボッチ、鉢伏山
   1987(昭和62)年9月17日

今となっては当ホームページご主人の車で頂上直下まで楽を決め込む鉢伏山も、このときは延々と歩いた。2.5万図「鉢伏山」のほぼ縦一杯に朱線が引いてあり、我ながら、よく歩いたものと思う。さらに、その翌日も村井の駅までがすこぶる長かったと思いだすのである。

初日、まず岡谷駅前のタクシーを捕まえ「塩尻峠へ」と頼むと、なにやらいうスポーツ施設までの1810円で「此処から歩くのです」。

いったい「此処」とはどの辺だろうかと地形図を見れば、塩嶺トンネルのほんの少し上、1060㍍とある辺りと見当がついた。さて、その先はきりがなく続く車道。所々尾根筋につけられた細道もあるが、まぁ、7割方は車道歩きの鉢伏山登山になった。しかし、秋の好日、眺めは抜群で、高ボッチ牧場のメンヨウが草を噛む彼方、北アルプスは槍や穂高の峰々が間近く見えるなんて、「あぁ、いい気分」。

眺めを愛で愛で鉢伏山荘までは約4時間の歩きだった。鉢伏山の頂上にはこの日のうちに往復し、展望台からの眺めも、また抜群というもの。

ところで3年前の9月初旬。長澤さんの車で登り、やはりこの展望台の上で眺めを楽しんでいると、いい歳の男性二人連れの片方から「雲取山のオトウサン」と話しかけられてびっくりした。

聞くとNHK放映日本百名山の「雲取山」の中で私を見ているというのである。どう見ても自身「オトウサン格好」のおじさんから「オトウサン」と呼びかけられる筋合いはないと思うのだが、そんな昔の番組を一度見たくらいで顔を覚えているなんて常人技ではない。世の中にはたいした人もいるものだと驚いた。(長沢註



上 これこそアルプからアルプスの眺め。

中 やっと鉢伏山が大きく、かつ山荘の建物も見えてきた。ところが山荘に入って今夜の泊まりを頼むと、おじさんおばさんが困まった顔だ。「休み明けで、お客にだす食べ物がすっかりなくなった」といい、「仕方ない、これから岡谷の街におりて買ってくるから夕食は遅くなりますよ」とおっしゃる。そんなわけで、多少は遅くなったものの特大のトンカツとは豪勢で、すきっ腹抱えて待った甲斐があったというものだ。

下 山荘の窓から見れば、なんともきれいな夕焼けで明日の好天も約束されたと喜んだが、一夜明ければ一面の霧で、それこそ「咫尺を弁せず」の空模様。「二ツ山までいってみよう」もやめて、少し戻った所から牛伏寺経由で村井駅まで歩いたら、これがまた長かった。

(2015.2)

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