40.三国峠、十文字峠道・2
 1984(昭和59)年11月25、26日

本欄の「その2」にも「三国峠、十文字峠道」を載せているが、これは、その8年後の初冬、秩父市にお住まいの柿原謙一さんと歩いた2度目の3枚である。

初回の76年6月には小海線の信濃川上からタクシーで三国峠へあがったが、今回は秩父の街から三国峠まで、柿原さんのお馴染みという運転手氏のタクシーを頼んだ。しかし、1時間半も走ったところで崩壊があって、これ以上は駄目となり、峠まで残り2時間近くを歩く羽目になった。

三国峠からは休みを入れて約4時間、十文字小屋には4時少し過ぎに着いた。ところが小屋番の青年は大忙しの連休が終わった骨休めにとしたたか呑んで、満足に立ってもいられないくらいに酔っ払っていた。ストーブに火を入れるといっても、危なっかしくて見ていられず、火をおこすのからなにからなにまで、こちらがやらなくてはならなかった。



上 「その2 三国峠、十文字峠道」は1976年6月の山行で、まだ、モノクロフィルムの時代だったが、もう、この頃はポジのカラーフィルムを使うようになっていた。三国峠から悪石の三角点峰を越すと、梓白岩、弁慶岩などの岩峰が見られるようになる。この岩峰も、そのどちらかであろう。

中 夜来の雲があがり、信州側の空には八ヶ岳が姿を現していた。

下 長い長い十文字峠の武州側の道。一里観音を見れば、栃本もそう遠くはないとほっとするのがいつものことだ。

(2014.9)

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