二子山西峰、叶後 
    1972(昭和47)年1月18日

本欄「叶山、八倉峠」の1枚でご覧いただくように、西上州の二子山は東峰西峰の険しい岩峰を並べ、道はあるものの、とても一般向きとはいえない山である。

東峰(1122㍍、上記写真では右側の岩峰)に比べれば西峰のほうが少しはマシだという話で、私は40年ほど前の冬に西峰に登ってみたが、けっしていい気分のものではなかった。後年、それを西上州のオーソリティの打田鍈一さんに話したところ「たいしたものです」とお褒めに預かったが、今考えれば、いくら若かったとはいえ、あんな恐ろしい山、おまけに雪のある季節によく登ったと思う。

このときも西上州ご常連の画伯こと藤井実さんと、こちら2人。初日18日は小鹿野からのバス終点坂本を振り出しに、まず股峠から二子山西峰を往復。あとは魚尾道峠(よのおみちとうげ)からいったん叶後(かのうじろ)におり、さらに丸岩峠を神流川筋に越したのちに万場の今井屋旅館へ行って泊まった。

なお、この日、丸岩峠道をくだって神流川を渡るところまでくると、もう真っ暗。それはよいとしても、あるべき橋がないとは、どうしたことか。しかたなく靴を脱いでじゃぶじゃぶ渡るはめになったが、その冷たいことといったら、足がちょん切れそうになった。おまけに足をさすったり靴を履いたりしているうちに、頭上の車道を万場行きのバスが行ってしまったとは、泣きっ面に蜂もいいところ。

停留所近くの雑貨屋のオバサンに聞くと、「こないだの台湾坊主(二つ玉低気圧のこと)で橋が流れちまった」そうで、次のバスまで小1時間、身を切る寒風の中で待たなくてはならなかった。

なお、2日目の19日は前日の徒渉がたたって元気がなく、投石峠から御荷鉾山往復だけで終わってしまった。



上 二子山西峰の頂上岩稜。 雪が危なっかしく着いている岩尾根を木にすがりながら登った。正直いって、私はこんな山は好きではない。

中 魚尾道峠から見る叶山。今は石灰岩採掘で見る影もないが、かつては形よく西上州の名山にも数えられていた。

下 叶後の廃屋。叶山東南の谷底の小平地を叶後といい、昔、1軒(あるいは2軒か)の家があった。この写真を写した時には、すでに無人になっていたが、これより10年ほど前の野口冬人さん撮影の写真を見ると、まだ、その頃は人がいたらしく、干し物などが写っている。それを見たとき、私は「よくこんなところに人が住んでいる」と驚いた覚えがある。

(2013.10)

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