
『人物書誌体系14 深田久弥』(堀込静香編)の昭和17年(1942)の項には、この年深田さんは39歳、年明け早々に正丸峠から伊豆ヶ岳を歩いたことが記されている。
そしてこの時の紀行を深田さんは「元日の山」という1篇にまとめているが、それによると武蔵野線(現・西武線池袋線)の吾野から秩父行きのバスに乗り、少女車掌に正丸峠でおろしてくれと頼んだにもかかわらず、ずっと手前の畑井という停留所でおろされて憤慨。仕方なく歩く途中、道連れの爺さんに訊くと、木炭バスになってからは峠には停車しなくなったとある。
では、なぜ、木炭バスは峠には停まらないのか、私は不思議でならない。電車バスなどすべて交通機関のオーソリティである三浦衛さん、これ、どういうわけなのでしょうか。
上 正丸峠付近から見る伊豆ヶ岳。西武秩父線開通以前、まだ、バスが峠を越していた頃は、峠までバスであがり伊豆ヶ岳、高畑山、子ノ権現と歩いて吾野駅へ戻ってくるのが奥武蔵ハイキングの代表的コースだった。
中 今、伊豆ヶ岳へ登るならば正丸駅でおり、大蔵沢ぞいに直接伊豆ヶ岳直下の尾根にあがってしまうのが一般的だ。『東京周辺の山』(山と溪谷社)に載る寺田政晴君のガイドもその道を書き、正丸駅から伊豆ヶ岳までは1時間25分とある。
下 正丸峠。現在は西武線ばかりではなく一般車道のトンネルもできて、峠の上はなんとなく閑散としていた。上記の深田さんの紀行によると、当時、峠近くには「厚生道場」と称する、名前はいかめしいがなかなか洒落た山の宿があった由。
(2013.1)
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